ひとりで酒を飲んだり、食事するのは
夏の終わりから秋の初めにかけての季節、東銀座の試写室で3時半から始まる映画を見て出てきた私は、地下鉄の日比谷線の駅に続く階段を下りずにそのまま晴海通りを銀座四丁目の交差点に向かって歩きはじめる。まだ日は暮れ切っておらず、柔らかい陽光がビルの高い階の窓ガラスに反射している。
そこを歩きながら、ふと、ビールが飲みたいなと思う。どこかに寄って1杯飲んでいこうか……。
しかし、銀座四丁目の交差点に着いた私は、地下鉄銀座線の駅に続く階段を下り、まっすぐ家に帰ることにしてしまう。
銀座や新橋になじみの店がないわけではない。しかし、私は、ひとりで酒を飲んだり食事をしたりするということにあまり慣れていないのだ。外で飲んだり食べたりする機会は少なくないが、そういうときは誰かと一緒のことが多い。少なくとも、夜はそうだ。
旅に出るのはいつもひとりだから、旅先では夕食もひとりで食べる。しかし、東京にいるときは、なんとなくひとりで食べたり飲んだりするのが億劫になってしまう。ひとりだと、入った店の人によけいな神経を使わせそうな気がする。そしてまた、こちらもそれ以上に神経を使わなくてはならない。
要するに、私にはひとりでなじみの店に寄り、軽く飲んだり食べたりするという器量がないのだ。
私が映画についての文章を書くため試写室に通うようになったのは15年ほど前のことである。それまで、試写室という空間があまり好きではなく、通わなくてはならなくなってしばらくは憂鬱だった。しかし、いつの間にか、その憂鬱さは消えていった。
試写室に通うということは、銀座に行くということでもある。もちろん、試写室は六本木をはじめとしてほかにもあるが、銀座界隈への集中の度合いが群を抜いている。
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