45歳で復活した男が見せたボクシングの本質 沢木耕太郎「拳の記憶」より

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ボクシングの「本質」とは?(写真:LeoPatrizi/iStock)
沢木耕太郎、と聞いて真っ先に思い浮かぶ言葉は「旅」という人は少なくないのではないか。1986年に発売された旅行記『深夜特急』(最終巻は1992年発売)は、1980~1990年代の若者、とりわけ、バックパッカーから絶大な支持を受け、その後の旅の仕方にも大きな影響を与えた。
その沢木氏の25年分の全エッセイを掲載した『銀河を渡る』が9月末に刊行される。『深夜特急』や『一瞬の夏』などヒット作の創作秘話や後日談や、美空ひばりや檀一雄との思い出話も収録されている。日本を、世界を移動しながら、自身も40~70代へと旅していく沢木氏の好奇心はとどまるところを知らない。今回はその中から、2011年5月の「拳の記憶」を掲載する。この週末、あなたも沢木氏とともに「旅」に出てみてはどうだろうか。

ボクシングの記憶は「拳の記憶」

ボクシングの記憶はボクサーの記憶である。ボクサーが持っているさまざまな属性は、最終的には「拳」というものに集約されていく。とすれば、ボクシングの記憶は「拳の記憶」ということになる。

私にとっての初めての「拳の記憶」は、10代のときに見たジョー・メデルの右の拳だ。調べてみると、私がテレビで関光徳とジョー・メデルの試合を見たのは13歳のときのことであるらしい。

第5ラウンド、関がメデルをロープ際に追い込み、止めの一発を叩き込もうとした。次の瞬間、キャンバスに倒れていたのはメデルではなく関の方だった。メデルは追い込まれていたのではなく、誘っていたのであり、関のパンチをガードしながら、じっと目を見開いてチャンスをうかがっていたのだ。相手の動きに合わせたメデルの右のフックが正確なカウンターとなって関の顔面に炸裂した。

それと同じことが、2年後の対ファイティング原田戦でも再現された。ただ一方的に原田に圧倒されているだけに見えていたメデルが、コーナーに詰められたときに放った右のアッパーがカウンターとなり、また一発で相手をキャンバスに沈めてしまったのだ。私は、ジョー・メデルによって、ボクシングにおいては一瞬にして世界が変わりうるということを教えられた。

ボクシングの不思議について間近に目撃することになったのは、私が20代になったとき「取材する者」として関わった輪島功一と柳済斗の一戦においてだった。足腰も立たないロートルが興行の犠牲になって無理なタイトルマッチを組まれてしまったなどという陰口を叩かれながら、輪島はひたすら「その日」に向かって肉体を研ぎ澄ませていき、ついには、おびただしい数のパンチを放った末の右のショート・ストレート一発によって世界タイトルを奪取することになったのだ。

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