ボクシングの記憶は「拳の記憶」
ボクシングの記憶はボクサーの記憶である。ボクサーが持っているさまざまな属性は、最終的には「拳」というものに集約されていく。とすれば、ボクシングの記憶は「拳の記憶」ということになる。
私にとっての初めての「拳の記憶」は、10代のときに見たジョー・メデルの右の拳だ。調べてみると、私がテレビで関光徳とジョー・メデルの試合を見たのは13歳のときのことであるらしい。
第5ラウンド、関がメデルをロープ際に追い込み、止めの一発を叩き込もうとした。次の瞬間、キャンバスに倒れていたのはメデルではなく関の方だった。メデルは追い込まれていたのではなく、誘っていたのであり、関のパンチをガードしながら、じっと目を見開いてチャンスをうかがっていたのだ。相手の動きに合わせたメデルの右のフックが正確なカウンターとなって関の顔面に炸裂した。
それと同じことが、2年後の対ファイティング原田戦でも再現された。ただ一方的に原田に圧倒されているだけに見えていたメデルが、コーナーに詰められたときに放った右のアッパーがカウンターとなり、また一発で相手をキャンバスに沈めてしまったのだ。私は、ジョー・メデルによって、ボクシングにおいては一瞬にして世界が変わりうるということを教えられた。
ボクシングの不思議について間近に目撃することになったのは、私が20代になったとき「取材する者」として関わった輪島功一と柳済斗の一戦においてだった。足腰も立たないロートルが興行の犠牲になって無理なタイトルマッチを組まれてしまったなどという陰口を叩かれながら、輪島はひたすら「その日」に向かって肉体を研ぎ澄ませていき、ついには、おびただしい数のパンチを放った末の右のショート・ストレート一発によって世界タイトルを奪取することになったのだ。
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