45歳で復活した男が見せたボクシングの本質 沢木耕太郎「拳の記憶」より

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言い終わると、内藤は左でジャブを放った。大和は何を言われているのかわからないまま、左でそのジャブを払った。

次の瞬間、大和も、そして私も、驚きで、ほとんど声を出しそうになった。

「まったく別人のようになっていますね」

大和が左で内藤の左のジャブを払うと、内藤の内懐が大きく空くことになったのだ。右で払ったときは、むしろ内藤のガードを固めてしまう結果になったものが、左で払うと体勢を崩すことになる。しかも、利き腕の右を使っていないために、相手が崩れたところにパンチを叩き込むことすらできる。

私はジャブというものへの対処法をこれほど理論的に、しかも実践的に教える場面に遭遇したことがなかった。たぶん、このときのことがなかったら、内藤になんとしてでもジムを持たせてやりたいと思うこともなかっただろうと思う。

それ以後、内藤がやったことと言えば、大和に1週間にひとつずつ、5週間にわたって5つの実践的なテクニック、技を教えただけだった。しかし、日本タイトルの王座決定戦に臨んだ大和は一変していた。のちに、テレビ中継で解説を担当していた白井義男が「まったく別人のようになっていますね」と何度も嘆声を発していたことを知ったが、まさに大和は別人のように自信に満ちた戦い方をし、結局、松柳俊紀を第4ラウンドにノックアウトして内藤と同じミドル級の日本タイトルを獲得することになる。

ボクシングとは瞬間のスポーツであり、肉体のスポーツであり、精神のスポーツであり、技のスポーツである。そして、ボクシングにおけるそれらすべての要素を含んだ試合を、40代の私にひとつの「物語」として見せてくれたのが、キンシャサでモハメッド・アリに敗れたジョージ・フォアマンだった。

私は、フォアマンがマイケル・モーラーという若いチャンピオンと戦い、45歳でタイトルを奪うことになる試合をテレビのクルーと共に取材し、『奪還』という1時間のドキュメンタリー映像を作ったのだ。

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