東南アジアは旅行する場所ではなかった
40年ほど前、20代の半ばだった私は、1年に及ぶ長い旅に出た。計画などといったものはなく、ただインドのデリーからイギリスのロンドンまで、シルクロードを抜けて乗り合いバスで行こうという大ざっぱなイメージしかなかった。ということは、そのときの私の意識の中からはアジアがすっぽりと抜け落ちていたことになる。
それもある意味で無理ないことだった。当時の日本の若者にとって、アジア、とりわけ東アジアと東南アジアは旅の目的地としては存在していないも同然だったからだ。
中国は入国することさえできなかったが、韓国や香港や台湾やタイなどという国々は、「オヤジたち」が女を買うため、つまり「買春」をするために旅行するところとして認識されていた。あるいは、「企業戦士たち」が日の丸を背負い、会社の名刺を持って「経済進出」するための先兵として赴くところと見なされていた。
ところが、私の買ったデリー行きの航空券が2カ所だけストップオーバー〈途中降機〉できるということを知り、たまたま選んだ都市が香港とバンコクだった。そのことが、私の旅を根本から変えることになった。
2、3日のつもりで香港に降り立った私は、そのあまりにも猥雑でエネルギッシュな街に瞬時に魅了されてしまった。
活気あふれる市場があり、いい匂いを放っている屋台が並び、裸電球もまぶしい夜店が続いている。そこを歩き、買い、食べ、冷やかす人々の群れがいる。私も彼らのその流れに身を任せ、熱に浮かされたように香港の街を歩き回り、気がつくと、1週間、また1週間と、滞在しつづけるようになっていたのだ。
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