中国人が日本の「果物」に心底唖然とした理由 沢木耕太郎「鏡としての旅人」より

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私は、香港から始まったアジアの旅で、つねに驚いていた。多くの人がうごめいていることから生じる街の熱気、貧しさの中にある風景の豊かさ。アジアでは、チャイナタウンに行けば、最低限の清潔さと満足のいく料理が手に入る。華僑がいるところでは、筆談でかなりの程度まで意思の疎通が図れる。どこにでもある市場に入れば、そこでその土地のすべてを見ることができる……。

たぶん私はアジアを歩くことで旅を学んでいったのだと思う。旅を学ぶとは人を学ぶということであり、世界を学ぶということでもあった。

アジアの旅では追い詰められることがない

その旅の一部始終は、後年『深夜特急』としてまとめられることになるが、それにささやかな意味があったとすれば、ひとつは日本の若者による「旅するアジア」の発見だったように思う。あるいはもうひとつ、エッセイストの山口文憲氏の言うように、アジアにおいても「街歩き」が旅になりうるという発見も大きかったかもしれない。

もし、現在のように中国の大部分が旅行者に開放され、自由に旅ができるようだったら、『深夜特急』の旅も、西安、かつての長安から「本物のシルクロード」を通ってパキスタンに抜けていった可能性がある。その結果、東南アジアはもちろん、インドやネパールの南アジアも省略されていただろう。すると、私の旅は大きなものを失っていたことになる。

アジア、とりわけ東南アジアでは、どこに行っても食事に困らないだけでなく、長く旅をしていても精神的に追い詰められることがなかった。多くの人がいる「気配」が心を安らかにさせてくれたし、彼らの根本的な優しさが旅を続けていく勇気を与えてくれた。

何年か前、上海の外国語大学で講演をしたことがある。そこで、『深夜特急』を日本語で読み、同じような旅をしてみたいと思ったという学生に出会った。彼によれば、3年ほど外国を旅してから帰国し、復学したのだという。中国にもそのような自由な旅をする若者が現れるようになったのかと驚かされた。

実際、ここ数十年、さまざまな土地で日本以外のアジアの若者と出会うことが多くなった。そして、そうした若者に先導されるようにして、アジアのごく普通の人たちが旅をするようになっている。

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