中国人が日本の「果物」に心底唖然とした理由 沢木耕太郎「鏡としての旅人」より

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かつて、私たちが旅する土地としてのアジアを発見したように、いま、アジアの人たちが、旅する土地としての日本を発見してくれている。そして、彼らは日本を旅して驚き、感動する。かつてアジアを旅していたときに私が驚き、感動した対象が彼らにとって意外なものだったように、私たちも彼らが驚き、感動するものを知って、意表を衝かれる。まるで、合わせ鏡で自分の見えないところを見させてもらったかのように。そう、旅人とは、その土地の人々にとって、ひとつの鏡となりうる存在なのだ。

彼らにとって、日本の何が驚きであり、感動の対象であるのか。

日本は世界の静かな中心を目指せばいい

たとえば私の知人にマカオ在住の日本人男性がいる。その妻は中国人だが、彼女が中国人の友人たちを連れて日本に遊びに来た。彼らは、日本の道路やトイレのきれいなこと、駅員をはじめとして公的な機関やそれに準ずるようなところに勤める人たちの親切なこと、さまざまな場所で出される食べ物が実にていねいに作られていることに驚きつづけていたという。とりわけ日本の果物の輝くような美しさとおいしさには驚きを通り越してあぜんとしていたという。ひとりの女性などは、桃の甘さに「これは砂糖水を注射器で注入したにちがいない」と言ってきかなかったくらいだという。

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こうしたことを聞いたり見たりすることで、私たちにとって大事なことが何か逆にわかってきたりする。彼らが感動するのは、どうやら私たちが「高度経済成長」によって直接手に入れたものではないらしい。そういえば、すでに、中国や香港だけでなく、台湾にもタイにもマレーシアにもシンガポールにも高層建築群は存在しており、高速鉄道がある国も珍しくなくなっている。彼らはそういうものではなく、日本人にとってはなんでもないこと、つまり、清潔なこと、親切なこと、おいしいことといったようなものに心を奪われているらしいのだ。

日本の政治家たちは、依然として沸騰するアジアの中心にいたいと願っているらしい。それはそれで悪いことではない。しかし、アジアで最初に高度経済成長を遂げ、いまはその終焉の中にいる日本にとって、目指すものはあくまでもアジアの経済発展の中心になろうとすることではないような気がする。

かつて、日本が高度経済成長に向かおうとしていた1959年の正月の新聞に、池田勇人が「所得倍増」を打ち出す契機となった学者の論文が掲載されたことがある。だが、その数日違いの号には三島由紀夫のエッセイが載っていた。彼は、日本への祈りを込めたその原稿の末尾に、「世界の静かな中心であれ」という一文をしたためた。

もし三島由紀夫のそのメッセージを使わせてもらえるなら、経済成長を目指してひたすら驀進(ばくしん)しているかのように見えるアジア諸国にとって、日本は「アジアの静かな中心」となるべき存在のように思える。

そのために日本はどうしたらいいのか。答えはさほど簡単ではないのかもしれない。だが、アジアからやって来る「鏡としての旅人」に正面から向き合うことで、何かが見えてくるかもしれないとも思う。

(2015年2月)

沢木 耕太郎 作家

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さわき こうたろう / Kotaro Sawaki

1947年東京生れ。横浜国立大学卒業。ほどなくルポライターとして出発し、鮮烈な感性と斬新な文体で注目を集める。79年『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞、82年『一瞬の夏』で新田次郎文学賞を受賞。その後も『深夜特急』『檀』など今も読み継がれる名作を発表し、2006年『凍』で講談社ノンフィクション賞、13年『キャパの十字架』で司馬遼太郎賞、23年『天路の旅人』で読売文学賞を受賞する。長編小説『波の音が消えるまで』『春に散る』、国内旅エッセイ集『旅のつばくろ』『飛び立つ季節 旅のつばくろ』など著書多数。

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