グレイシー親子「RIZIN」参戦を辞退した理由 ヒクソンの息子・クロンが見た日本人像
12月29日、31日の両日にわたって行われる総合格闘技のイベント「RIZIN」は、1997年10月11日に実現した高田延彦対ヒクソン・グレイシーの「PRIDE.1」の流れを汲む大会である。この大会の模様は12月31日(日)フジテレビ系列全国ネットで18時30分~23時45分まで放送される。
その合間にあたる12月30日に4人で『プライド』刊行記念のサイン会が行われる予定だった。高田延彦、榊原信行、筆者である私とヒクソン・グレイシーである。だが、かつて400戦無敗と呼ばれ、『プライド』の中でもキーパーソンとして描かれた男は、来日しないことになった。
する理由が失われてしまった、というべきかもしれない。
1年前の年末も、2年前の年末も、ヒクソンは日本にやってきていた。息子であるクロン・グレイシーのセコンド役だったからだ。にもかかわらず、今年の年末、ヒクソン・グレイシーの息子はRIZINへの出場を拒んだ。父は、日本にやってくる最大の理由を失い、サイン会は日本にいる3人だけで行われることになったのである。
ヒクソンは日本に来るつもりだった
テラスに差し込む初夏の陽光が、柔らかさを帯びてきていた。
『プライド』を執筆するために飛んだロサンゼルスでの2日間、合計7時間以上にも及んだインタビューが、ようやく終わろうとしていた。
「ありがとうございました。年末、日本で会いましょう」
私がそう言って手を差し出すと、ヒクソンは笑いながら言った。
「行くことがあれば、な」
もちろん来るはずだ、と私は思っていた。すでにRIZINの榊原信行はクロン・グレイシーに年末の大会へのオファーを出している。ならば、クロンはやってくる。当然、ヒクソンもやってくる。
「年末、ぜひ日本で高田さんと一緒にお酒を飲みましょう。きっと、お酒の勝負だったら高田さん、負けないと思いますよ」
答えはなかった。代わりに、満面の笑顔とウインクが返ってきた。
改めて思う。
あの時のヒクソンは、私と同じだった。つまり、クロン・グレイシーは年末のRIZINに出場するものだと考えていた。その証拠に、握手を終えたヒクソンは、同席していた通訳にこう言ったのだ。
「年末の試合相手が決まったら、私に直接教えてくれ。クロンの口からは聞きたくないからな」
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