グレイシー親子「RIZIN」参戦を辞退した理由 ヒクソンの息子・クロンが見た日本人像

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年も押し迫ってきた12月上旬、柏木信吾は途方に暮れていた。

RIZINに出場する選手をブッキングする立場にある彼は、半年前、私がヒクソンにインタビューをした際に通訳を務めてくれた男でもある。

彼のような仕事をしている人間にとって、年末は修羅場の季節である。大会に出場する海外の選手とのやりとりが増えるということは、様々な時差とオンタイムで付き合っていかなければならないからである。アメリカ、ブラジル、ロシア、クロアチア──寝る間など、あるはずがない。

だから、慢性の睡眠不足は柏木にとってお馴染みのストレスだった。彼が途方に暮れていたのは、年末の目玉となる選手から出場の了解を取り付けられずにいたから、だった。

クロン・グレイシーである。

「2月からずっと交渉を進めてきたんですが、歩み寄れる気配がまったくありませんでした」。交渉が難航した原因ははっきりしていた。

カネ、である。

「彼が要求してきた額は、現時点の総合格闘技界でトップクラスとされる選手をも大きく上回るものでした。正直、どうやったって呑めるものじゃなかった」と柏木は言う。

昨年末、クロン・グレイシーはベテランの川尻達也との好勝負を制し、デビューから無敗の4連勝を飾った。(写真:(C)RIZIN FF)

クロンは必ずしも「カネの亡者」ではない

やっかいなのは、クロン・グレイシーが必ずしも“カネの亡者”というわけではない、ということだった。というより、もし彼がドルや円に飢えただけの男であれば、百戦錬磨の柏木はあっさりと交渉をまとめていただろう。

クロンがカネにこだわったのは、かつて父であるヒクソンがこだわったのと、まったく同じ理由だった。7時間以上もヒクソンのインタビューに同席し、その真意を深く理解するようになっていた柏木は、ゆえに、途方に暮れたのである。

「ぶらさげるニンジンがない。率直にいえば、そんな感じでした」

ヒクソンにとって、戦いは文字通り命を懸ける場だった。エベレストを前にした登山家が死を覚悟するように、凶悪犯と立ち向かうリオ・デ・ジャネイロの警察官が常に殉職の危機と向き合っているように、彼は、いつ死んでもいい覚悟で戦いに臨んでいた。一銭にもならない危険なストリート・ファイトも、軟らかいマットやグローブで保護されたリングでの戦いも、彼にとっては等しく死を賭して上がる舞台だった。

だから、それがビジネスになる場合のヒクソンは、とことんルールとカネにこだわった。自分が負ける可能性を極力減らすルールを主催者側に求め、己の命の対価として値する額を要求した。

負ければ、自分は死ぬ。ならば──。

父ヒクソンの考えは、そのまま息子であるクロンにも受け継がれていた。
しかも、彼には忘れられない原体験があった。柏木はヒクソンから面と向かって言われたことがある。

「日本人はいつもニコニコしている。人当たりもいい。でも、結局お前たちが見たいのは、俺たちグレイシーの人間が倒されるところなんだろ? 俺の首が取られるところなんだろ?」

武士道に傾倒していた若かりし日のヒクソンにとって、日本は憧れの国だった。初めて日本からのオファーが届いたとき、彼は少年のように胸を躍らせたという。

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