「1人で食べる人」が孤独の代わりに得たもの 沢木耕太郎「銀座の二人」より

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銀座の試写室で思い出すもうひとりは淀川長治だ。

淀川さんとはその晩年に一度だけ対談したことがある。対談の場所は淀川さんが長期滞在していた溜池の全日空ホテルだった。その中華料理店で、酒の飲めない淀川さんに合わせて、まったくアルコール抜きで4時間以上の長い対談をしたのだ。もっとも、対談とは名ばかりで、私が言葉を発したのは4時間のうち15分もなかっただろうから、淀川さんの独演会のようなものだったのだが。

孤独の代償として手に入れたもの

そこで淀川さんが語ったことの中にはいくつも印象的なことがあったが、意外だったのは食べ物に関する次のような話だった。

淀川さんは、午後になるとテレビ局が差し向けてくれる車で試写室に行き、その車で全日空ホテルに帰ってくる。そして、夕食はホテルの中にあるレストランを「かわりばんこ」に選んでそこで食べる。毎日がほとんどその繰り返しだと言ったあとで、こんなことを呟(つぶや)いた。

「もう何年と、ひとりで環状線の向こうに行ったことがないわ」

その時の話の流れでは、環状線の向こうというのは渋谷や新宿を指しているらしかった。そして、その言葉は、ホテルの外の繁華街で気儘に食事をすることがまったくないということを意味しているようだった。

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その対談以来、銀座の試写室などで顔を合わせるとあいさつをするようになったが、淀川さんの小さな体が試写室の外に出て行くのを見送りながらいつもこんなことを思っていた。

――淀川さんは、これから全日空ホテルに帰り、あそこにある大きなレストランのどこかで、ひとり食事をするのだなあ……。

おそらく、淀川さんは、そうした孤独を代償にして多くのものを手に入れたのだ。試写室からの帰り、私は池波さんのように気儘になじみの店に寄ることもなく、淀川さんのように決まりきった店でひとり食事をするでもなく、家に戻って平凡な食事をする。

そういえば、対談の最後に、淀川さんが私に質問をしてきた。沢木さんは奥さんや子どもさんがいるの、と。私が、ええ、と答えると、淀川さんがほんのちょっぴり哀れむように言った。

「じゃあ、だめね」

2006年11月
 

沢木 耕太郎 作家

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さわき こうたろう / Kotaro Sawaki

1947年東京生れ。横浜国立大学卒業。ほどなくルポライターとして出発し、鮮烈な感性と斬新な文体で注目を集める。79年『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞、82年『一瞬の夏』で新田次郎文学賞を受賞。その後も『深夜特急』『檀』など今も読み継がれる名作を発表し、2006年『凍』で講談社ノンフィクション賞、13年『キャパの十字架』で司馬遼太郎賞、23年『天路の旅人』で読売文学賞を受賞する。長編小説『波の音が消えるまで』『春に散る』、国内旅エッセイ集『旅のつばくろ』『飛び立つ季節 旅のつばくろ』など著書多数。

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