やがて、カシアス内藤君という僕の友人のボクサーがカムバックし、僕がそのカムバックに手を貸すことになります。そのとき、僕はいつものように利朗に手伝ってくれるよう頼みました。最初のうちは一種の運転手のようなものにしか過ぎなかった彼が、いつの間にか、僕とカシアス内藤とエディ・タウンゼントさんというトレーナーにとって必要な仲間になっていきました。彼はいつも黙ってそばにいてくれるだけでしたが、そのお陰でどれほど僕たちの緊張した関係が和らいだことでしょう。とにかく彼は、いつものようにまったく文句も言わず、1年という時間を費やしてくれました。
その1年の記録は『ラストファイト』という写真集として結実します。たぶんそれは、日本で出版されたボクシングの写真集の中で、最も美しい一冊と言えると思います。
ふもとの楽しみを知っている男だった
僕には、兄貴分として、利朗を不満に思うところがなくもありませんでした。たとえば、『ラストファイト』で、マスコミにもいくらか名前が売れ、いろいろな編集者との関係ができたにもかかわらず、自分から積極的に売り込みに行くというようなことをいっさいしません。どうしてもっとチャンスを生かさないのだろうと歯痒かったのです。
しかし、僕も少しずつ齢を取るにつれて、それが、それこそが内藤利朗なのだと理解できるようになりました。
作家の田辺聖子さんに「ふもとの楽しみ」という言葉があります。誰もがテッペンを目指して息せき切って登ろうとしているとき、山のふもとで、美しい草花を愛で、馬や羊と戯れ、楽しむことを知っている人がいる。自分はそういう「ふもとで楽しむことのできる人」が好きだと言うのです。
利朗はまさに「ふもとの楽しみ」を知っている人でした。
あの『ラストファイト』も、すばらしい写真を撮ろうとした結果ではなく、あくまでカシアス内藤のカムバックに手を貸してくれという僕の頼み事をきいてくれた結果でした。彼にとっては、それもまた、山のテッペンに登るためではなく、たぶん「ふもとの楽しみ」を味わうためのものだったのです。自分の部屋で好きなジャズやクラシックの音楽を聴いたり、庭に植えたバラの手入れをするのと同じように。
ここに参列してくださっている方で、内藤利朗に否定的な感情を持っている方は、おそらく1人もいないのではないかと思います。
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