「VR体験」を脳と体はリアルな体験と誤認する バーチャルリアリティーの果てしなき未来

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PTSDの治療には「暴露療法(トラウマ体験を再現して直面させる治療法)」と「認知行動療法(トラウマの受け止め方を修正する治療法)」を同時におこなうことが有効である。そのためには、PTSDをもたらした体験を正確に思い出す必要がある。しかしそれが難しい。そらそうだろう、なにしろPTSDなのだから、思い出すこと自体が怖い。その記憶を鮮明に蘇らせるためにVRが有効なのである。この9.11の治療用VRは50人以上の治療に用いられ、想像力だけに頼った暴露療法よりも治療成果が大幅に向上することが示されている。この成功をうけて退役軍人のPTSD治療用に作られたVRは、すでに2000人以上の治療に役だっているという。

幻肢痛(ファントムペイン)というのは、手足を失ってしまったにもかかわらず、その失った手足に痛みを感じる原因不明の症状である。この治療には「ミラーセラピー」がおこなわれる。たとえば、なくなった右手に痛みを感じる場合、鏡に左手を映して、それを右手だと脳に錯覚させる。そして、左手を動かして、右手がうまく動いているかのように脳を上手に騙してやる。そんなちゃちなやり方でと思われるかもしれないが、これがうまくいくのだ。

ただし、4割の患者では効果がない。この方法は、意図的にうまく錯覚する、先の例でいうと右手が本当に動いていると想像すること、が必要なのだが、それが不十分であるとうまくいかないらしい。しかし、VRを用いることにより、想像力なしでの治療が可能になる。

慢性疼痛の治療にも用いることができる。火傷などの後、すでに原因がなくなっているのに疼痛が長期に続くのが慢性疼痛である。その緩和にVRディストラクションという方法が有効である。早い話がVRで気を散らせて痛みを感じなくさせようというやり方だ。

痛みがあっても何か楽しいことをしていたら忘れることはよく経験する。それと同じことである。ビデオゲームでもある程度の効果はあるが、心身ともに仮想空間へと没頭できるVRの方がはるかに効果が高い。同じような方法は、苦痛を伴うリハビリにも応用が可能である。

経験したことが脳に刻み込まれたかが重要

夏休みにインド北部のラダック地方へ行ってきた。トレッキングで訪れた小さな村、水道はなく電気も不十分だった。それほど意識しているつもりはなかったのだが、帰ってきてから、明らかに水や電気の使用量を減らしたエコ生活になっている。

ラダックは遠い。それに3500メートルほどの標高なので高度順応も必要である。そんなところまでわざわざ行かなくとも、VRで類似経験をさせるだけでエコ生活を自然と導入できるようになる。しかも、いったんVRが作られたら、費用はほとんどかからない。森林破壊を理解するために、チェーンソーで木を切り倒すVRを体験させると、実際に紙の使用量が減少したという研究がある。

そんなことわざわざVRで経験しなくとも、報道を見たりたり本で読んだらわかる、と思われるかもしれない。しかし、どうやら違うのである。もしそうなら、すでに、もっと多くの人がエコ生活を営んでいるはずだ。大多数の人は実際に経験したことに基づいてしか行動しない。いや、より正しくは、実体験であれVRであれ、経験したと脳に刻み込まれたことに基づいて行動するのである。

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