「VR体験」を脳と体はリアルな体験と誤認する バーチャルリアリティーの果てしなき未来

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難民キャンプのVRを体験させて、難民への共感度をあげるというのも同じことである。もっとおもしろいのは、VRによる身体移転だ。VRを用いて、若者を高齢者のアバターへと「身体移転」させることが可能である。そういった体験をさせると、高齢者について肯定的になるというのだ。VRによっていともたやすく、文字通り、相手の立場にたつことができるのだ。

VRを使えば応用範囲は果てしなく広がる

アバターを使って人間関係をよく円滑にできる可能性。VRを使うことによって、実際にプレーしているかのようにおこなうイメージトレーニング。過去の時代を再現したVRを用いての歴史教育。など、さまざまな実例があげられている。あまりに豊富な内容に、ホンマですかとつぶやきながら、ため息のつき通しであった。

『VRは脳をどう変えるか? 仮想現実の心理学』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

ただし、恐ろしくもある。長時間VRの世界に身をおいていると、現実とVRの区別がつかなくなるというのだ。現状では20分以上VRを利用するのは控えたほうがいいらしい。言い換えると、VRにはそれだけものすごいインパクトがあるということだ。それに、VRが悪い目的で利用されてしまう危険性も多分にある。

映画とVRの違いが論じられている。何よりもいちばん違うのは没入できるかどうかである。VRは現実と同じように没入できる、いや、無意識のうちに没入てしまう。映画では、そうはいかない。もうひとつの大きな違いは、映画は作り手の意図によって一つの方向へと導かれていくのに対して、VRは個人が自分の動きで見たいものを見ることができるということ。VRは、決して映像の延長ではないのである。

VRを映画の歴史になぞらえると、1941年に公開されたオーソン・ウェルズの『市民ケーン』のレベルには到底達していなくて、リュミエール兄弟が映画を開発すべく実験を繰り返していた19世紀末くらいの時代にすぎないという。そんな幼弱な段階でここまでできるVR、はたして応用範囲はどこまで広がっていくのだろう。バーチャルリアリティー、その未来は果てしない。

仲野 徹 大阪大学大学院・生命機能研究科教授

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なかの とおる / Toru Nakano

1957年、大阪市旭区千林生まれ。大阪大学医学部卒業後、内科医から研究の道へ。京都大学医学部講師などを経て、大阪大学大学院・生命機能研究科および医学系研究科教授。HONZレビュアー。専門は「いろんな細胞がどうやってできてくるのだろうか」学。著書に『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社、2017年)、『からだと病気のしくみ講義』(NHK出版、2019年)、『みんなに話したくなる感染症のはなし』(河出書房新社、2020年)などがある。

 

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