知識はあるが勇気のない、日本の「人格者」 山折哲雄×上田紀行(その5)

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「語り」ができる教育者に人文学はかかっている

山折:やっぱり古典学の再編成ですよ。宗教はもちろんそうですが、古典をしっかり読み、書き、理解する、そういうシステムを作るべきです。古典の中にすべてが含まれている。

上田:そうすると、古典を今の若い子たちに示して、読ませる才覚のある教育者がいるかにかかっていますね。

山折:そう、教育者の問題。「読み・書き・語り」ですよ。「そろばん」の代わりに私は「語り」と言っている。語ることのできる教師がほとんどいない。東工大で上田さんぐらいだろう?(笑)。

上田:いやー(笑)。ハーバードやMITでは、本当に語らせる、そして書かせる授業をやっていますよね。東工大の学生にも「これからはコミュニケーション力を高めて、語れるようにならなければいけないし、自分の思っていることは言えなければいけないよ」と言ったら、学生が「はい」と手を挙げて、「まずうちの先生がそれをやってください」と言われてしまいました(笑)。

いや、ホントに、ただ黒板に書くだけの先生もいますからね。さらに今、パワーポイントがあるから、先生は暗闇でただパワーポイントの資料を読んでいるだけだったりする。学生からは先生の顔も見えないし、何かボソボソと言っているなという感じ。パワーポイントは語りの能力をものすごく落とします。

山折:聞くほうも耳を通るだけですよ。やっぱり教養というのは語りと非常に関係がある。これからは講談、浪花節を大事にしなければいけない。われわれの時代は、歴史なんてだいたい講談で学んだ。先生はやっぱり語っていましたよ。

上田:今は先生があまり語りすぎると、評判がよくないですから。

山折:テレビでばっかり語っているからな(笑)。

人文学はイマジネーションが重要

上田:研究者は論文を書いて、それがどのくらい引用されるかで評価されるというシステムですからね。たとえば東工大の場合、人文系の先生は理科系の先生に取り囲まれているので、人文系もその評価システムで勝たなければ、潰されるのではないかという恐怖がある。

でも人文科学というのは、そんなちょこちょこ小さな論文を書く、いわゆる研究者タイプではなくて、学者タイプであることが強みのはず。研究者と学者は違う。それを理科系みたいに小さなポイントを稼いでいくような研究者タイプをたくさん養成して、理科系にも勝とうとすると、自分で自分の首を絞めるようなものですよ。

要するに、ものすごくホリスティック(包括的)で横断的で、この人の言っていることはまゆつばかもしれないけど面白いとか、実証性はないかもしれないけど面白いというのが人文系のよさなのに、そういうホラ吹きみたいなよさを切っちゃうと、イマジネーションを働かせない学問になってしまう。人文学からイマジネーションを取っちゃったら何が残りますか?

海外にはサミュエル・ハンティントンにせよ、フランシスコ・バレーラにせよ、言っていることが正しいかどうかはともかくとして、大きいことを言う人がいますよ。

山折:世界をどう把握するか、そこですよ。それを実証するしないにかかわらず、今、この時点において世界をどう把握するか。これはものすごくインパクトがあるし、それを多くの人は欲している。

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