正直言って、新田次郎作としては違和感のある、ヘンテコかつ安っぽい話である。
謎の発光怪物体の正体追及と解明による新たな展開が主眼のSF小説ではなく、UFO登場というニュースに振り回される人々の悲喜劇を皮肉り、同時に主人公がUFOの追及を通して人間的な成長を遂げていく、『ヴィルヘルム・マイスター』(1796年、ゲーテ作)的なビルドゥングス・ロマン(教養小説)――恐らく新田が『夜光雲』で描きたいと当初思っていたのはそのラインの小説だったと思われる。しかし、アウトプットはそんな野心とはかけ離れたものになってしまっている。
今里は航空会社の制止を振り切ってマスコミに乗せられて騒ぎを大きくしてしまい、今里を徹底的に利用しようとする催眠術師と手品師にほとんど毎回してやられ、その都度立場を悪くしてしまうなど、ラストまで人間的にも世間知的にも殆ど成長の跡が見られず、唯一成長しているのは女性遍歴の点だけというお粗末さだ。
大体、むしろ真面目な青年として描かれている今里は、どういう訳かUFO追及の途上で現れる美女5人全員と相思相愛になってしまうのである。それも次々に出会っては別れ、ではなくほぼ同時並行に!相思相愛なのである。
お前は寅さん以下や!
一番呆れるのは、ほぼ結婚の約束まで出来ていた京都の画家である梨花という女性との恋が破れ、失意のうちに飛行機で東京に戻るシーン。
「今里真一は機上の人となっても、心は京都にあった。(二人が逢瀬を楽しんだ秘密の庵の外にあった)竹林のささやきが、彼の頭から離れなかった」。ところがそれから半時間も経たぬうち、伊丹-羽田航路の丁度半ばで「雪をいただいた富士山が見えて来ると、真一は、富士山の向こうの東京にいる晴美(5大美女の一人)のことを思った。晴美の頬の線も弥勒菩薩の頬の線だと思った。晴美を思ったときの真一の心は京都から去っていた」
あっさりと悲劇的失恋を抜け出してしまい、以降の今里は、最も深く愛し合っていた梨花のことを殆ど思い出しもしなくなってしまうのである。あまりにも惚れっぽいと同時に忘れっぽく、「お前は寅さん以下や!」と突っ込みたくもなる。
こういった次第で、本来描こうとしたモティーフについては惨憺たる内容ながら、さすが気象庁の一流技術者だっただけあり、怪物体の解明への科学的アプローチはなおざりにされておらず、文系人間にとっても比較的分かりやすくなされているのは嬉しいところだ。
また、新田には他にも「狐火」「諏訪の狐火」「きつね火」「きつねもち」といった狐火や狐憑きを扱った小説もあることから、新田次郎本人が狐火に強い印象を受けていたこともこの長編の誕生の契機になったのではないかと思われる。
いずれにせよ、新田作品群の中で、非常に中途半端な立ち位置の『夜光雲』は、話のタネになるツッコミどころが満載だ。古書店で見かけられたら購入されることを強くお勧めしたい。
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