今回紹介するのは吉川英治の作品『恋山彦』である。吉川英治(1892-1962)は江戸川乱歩(1894-1965)と並び、大正・昭和の大衆文学の頂点に屹立する巨星として知られる。幼少期、青年期は父親の事業の失敗、家族の不和などもあり、小学校を中退し、色々な職業を転々とするといった苦労を重ねたが、その時に培った人間観察眼は後の作家としての大成に大きく寄与することとなる。
最も大部な全集は、講談社から文庫の形で出た実に161巻にも及ぶ浩瀚なものだ。
その膨大な作品群からちょっと挙げただけでも『宮本武蔵』『私本太平記』『新・平家物語』『三国志』『新書太閤記』『神変麝香猫』など、日本人ならば誰でも知っている(はずの)、今でも高い人気の超大作群がずらりと並んでいる。
豊かなストーリー性、ヤマ場の盛り上げ方、巧みな描写、泣かせ処のツボの押さえ方、いずれをとっても「大衆文学の王」の呼び名にふさわしい存在である。
『恋山彦』は『宮本武蔵』連載開始の直前、1934年から翌年にかけ、いよいよ充実期に向かう時分に連載された長編伝奇小説である。ストーリーは次のようなものだ。
身の丈6尺を越える山男
徳川綱吉の治世、盲目の名三味線奏者・十寸見(ますみ)源四郎の一人娘・お品は、十寸見家に代々伝わる名器・山彦を巡って父を殺され、また美貌ゆえに色々な男に言い寄られ、辛酸の限りをなめ尽くしていた。父を殺してまでも山彦を奪おうとする柳沢吉保の愛妾おさめの放つ卑劣な刺客から必死の思いで逃れ、ようやく幕藩の力が及ばぬ神領・虚空蔵山に辿りつき、そこにて三味線の修業に励む。
しかし、遂にお品は執拗な追っ手に捕えられて山彦を奪われた上に、山の神へ捧げる生贄とされてしまう。生贄となったお品を引きとったのは、身の丈6尺を越えようかという山男。彼は平家の落武者の末裔、伊那小源太であった。彼女は小源太の花嫁としてさらわれてきたのだ。
伊那家は落人と言いながら虚空蔵山の支配を許す500年前の天皇の御勅文を持っていたが、それが邪魔な飯田藩と柳沢吉保がはりめぐらした奸計により、御勅文を持った小源太は江戸に連れて来られる。江戸城でまんまと御勅文をだまし取られてしまった小源太は怒り狂って城から脱出し、江戸の街を暴れ回る。そして柳沢吉保の別邸・六義園に乗り込み仇敵をねじ伏せ、とらえたおさめを片手に六義園で一番高い嘯雲閣を登っていく。
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