日本の近代を支えた「渋沢資本主義」とは何か

日経新聞の名物記者が考える「分岐点」

いま一人、明治維新の経済面での知的リーダーに福沢諭吉がいる。英米流の資本主義、経済学に強く影響を受けた福沢は、『西洋事情』や『文明論之概略』で、大衆にわかりやすく日本の政治・経済の実情を論じ、『帳合之法』では会計学の必要性を説いた。まさに日本の「ビジネス社会」の草分けである。また、慶應義塾を舞台に人材を育成し、民間で活躍する「経営者」を数多く輩出した。その意味では、明治期の日本の資本主義の形成に大きく寄与したことも間違いない。しかし、彼自身は、「実学」の人ではあっても、「実業」の人ではなかった。

穏健な日本社会の中に資本主義を埋め込むための知恵

渋沢が「日本資本主義の父」と呼ばれる理由の1つは、日本人に幅広く浸透している「論語」を思想的基盤とした資本主義の哲学を作り上げ、実践したことである。それは、のちに『論語と算盤(そろばん)』『処世の大道』などの著書にまとめられる。マックス・ウェーバーは「資本主義の精神」の基礎をプロテスタントの過激な革命精神においたが、それを「論語」に読み換えて、マックス・ウェーバーと変わらない時期に資本主義精神を唱えたのが渋沢だったと言える。資本主義という苛烈な仕組みを、穏健な日本社会の中に埋め込むための知恵だった。欧米流の利益第一の資本主義ではなく、「公益」を第一に考え、公益の追求が利益を生み出す資本主義だった。

渋沢が資本主義を学んだのが、江戸幕府最末期の京都所司代一橋家や第十五代将軍徳川慶喜の下であり、学んだ場所がフランスだったことも忘れてはならない。日本近代化のエンジンとなった殖産興業政策の原型は、フランスのサン・シモン主義と呼ばれる、ある種の社会主義的政策のなかにあった。米国流の市場原理主義とは異なるものだった。

また、こうした思想以上に、渋沢とほかの2人を分かつのは、渋沢が為替制度、銀行制度、証券取引所、商工会議所など、明治維新以降、1980年代のバブルの時代にまでつながる日本資本主義のプラットフォームを、大蔵官僚時代に作り上げたことである。さらには、民間に下ったのちには、外国からの技術導入によって、繊維や紙など日本の基幹産業を立ち上げ、日本の製造業の歴史を作り上げたことも、渋沢の大きな功績といってよい。

渋沢栄一、岩崎弥太郎、福沢諭吉の3人は、いずれも明治維新後の日本の資本主義の草創期を、自由闊達に走りきった思想家であり、企業家であり、資本家である。この3人が生み出した3つの奔流が、あるときには、岩崎的なものに傾斜し、あるときには、福沢流のグローバルスタンダードの潮流に流れ込みながら、ダイナミックに交錯したのが、草創期の日本の資本主義だった。日本にとっては「坂の上の雲」の時代でもあった。

日清・日露の2つの戦争と、太平洋戦争を挟み、日本の経済制度はさまざまに変わった。しかし、渋沢栄一の現実主義のなかで巧みに融合した「日本資本主義の哲学」は、戦後の日本のシステムを通じて脈々と生き続けてきた。

明治維新からバブル崩壊の時代までの120年の歴史を「渋沢資本主義」と呼んでみたい。そして、明治維新から太平洋戦争の敗北までを前期渋沢資本主義、戦後の復興からバブルまでの時代を後期渋沢資本主義と名付け、区別したいと思う。

渋沢資本主義を、アングロサクソン型の資本主義と分かつものは、(1)公益に資することを資本主義の本題とすること、(2)株式会社のステークホルダーを株主だけに置かず、取引先、銀行、従業員などさまざまな利害関係者に置くこと(株主資本主義に対するステークホルダー資本主義)──にある。

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