日本の近代を支えた「渋沢資本主義」とは何か

日経新聞の名物記者が考える「分岐点」

前期渋沢資本主義は、1930年代の世界恐慌によってリベラルな資本主義が崩壊し、その存立基盤が崩れた。日本は「金解禁」論争などを経て、戦争期の財閥資本主義への道をひた走ることになる。

そして、戦後の後期渋沢資本主義である。安本(アンポン:経済安定本部)に象徴される、にわか作りの組織に集まった若手官僚や民間人が、戦後の復興の人的資源になったことは、紛れもない事実である。彼らの中には、渋沢に直接または間接に影響を受けた者たちが少なからずいた。

また、解体された内務省に代わって、大蔵省(現・財務省)が「官僚の中の官僚」として新たに権力を掌握し、官房長、秘書課、主計局を中心に、自民党一党支配の「黒衣(くろご)」を演じた。そして戦後の資金不足の時代に資金の配分機能を担った日本興業銀行(興銀)が、産業金融の雄として、絶大な力を持った。日本興業銀行の権力と大蔵省との蜜月こそ、「後期渋沢資本主義」の前提条件だった。そして傾斜配分・傾斜生産という政策の下、産業資本主義の頂点に君臨したのが、八幡製鉄と富士製鉄(のちの新日鉄)を代表とする重厚長大産業の担い手たちだった。

1980年代のバブル期に存続の前提が崩壊

官民が役割を分担しつつ一体となって動き、その頂点に「興銀・大蔵省・新日鉄」が君臨するのが後期渋沢資本主義だった。結果として、主役は東大法学部卒のエリートたちだった。さまざまな変化にさらされながら生き延びてきた渋沢資本主義は、1980年代のバブルの時代に存続の前提が崩壊する。

本書『経営者 日本経済生き残りをかけた闘い』(新潮社)は、私自身が最前線の記者だった1973年(第一次オイルショックの年)から、1993年(宮沢喜一自民党政権が崩壊した年)までの20年間と、さらに広い意味で、日経を舞台にメディア人としてニュースにかかわってきたその後の20年間の中から、戦後の経済史、経営史を考えるうえでこれだけは外せないと思うもの、そして「私にしか書けないニュースが含まれている」ものを選び、「経営者」の視点から後期渋沢資本主義の物語としてブラッシュアップした。アカデミズムでも、ジャーナリズムでもない何かが生まれたと自負している。

冒頭のエピソードは、日立と三菱重工の経営統合の話だが、同時に日立と東芝の物語でもある。オイルショック以降の成熟期の日本経済のなかでは、日立と東芝はいつでも2社でひとかたまりである。2社とも財閥色の強くない日本の代表的企業である。

東芝は、戦後の復興の過程で、石坂泰三と土光(どこう)敏夫という2人の大物財界人を生み出した。石坂は二代目の経団連(経済団体連合会)会長となって「財界総理」と呼ばれ、政治家以上の政治力を発揮した。土光敏夫は、そのまじめにして質素な生活ぶりが国民の人気を集め、バブルの時代の1980年代に、中曽根康弘政権の行革の旗を振り、国鉄の民営化や、電電公社の民営化を実現した。

私から見れば、八幡製鉄・富士製鉄とともに、東芝も後期渋沢資本主義のシンボリックなモデルである。その東芝をはじめ、日立、三菱重工は、それぞれ従業員15万人、30万人、8万人を抱える超大企業にして、原子力、軍需産業、航空機などを抱える公益型産業でもあった。

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