日本の近代を支えた「渋沢資本主義」とは何か

日経新聞の名物記者が考える「分岐点」

もし、あの時点で、日立製作所と三菱重工の経営統合が実現に向けて踏み出していたなら、日本の産業構造に転換を迫り、さらには日本の原子力政策の転換をも促すものになっていただろう。日立・三菱重工連合という「日の丸原子力会社」が実現していたら、米ウエスチングハウスを傘下に収めた東芝に対する、国の過剰な保護や配慮はなかっただろう。東芝の経営者は、はたして私利私欲で常識外れの粉飾決算の道を選び続けることができただろうか。また、アベノミクスも、金融政策だけに依存したバブル政策との批判を受けただろうか。

経営統合の失敗の原因は、大宮社長以下の三菱重工の現役経営陣の根回し不足・経営の力量不足と言われている。しかし、常識的に考えて、社長の決断をいったい誰が覆せるのだろう?

日本の近代資本主義の転機

問題は、もはや取締役でもない経営者OBが、長老として絶大な拒否権を持っている三菱重工の非常識で不健全なガバナンスにあった。その非常識を十分に解消できないままに、日立との経営統合と、日経の報道に直面せざるをえなかったのが、現役の経営陣だったともいえる。

その後の三菱重工の経営の推移を見れば、原子力部門にとどまらず、造船、航空機部門でも不振が続き、いまや、会社自体の存続さえ危ぶまれる状況になっている。大宮の後を継いだ宮永俊一社長は、長い三菱重工の歴史のなかでも異例中の異例といえる6年目の任期に突入しているが、それは、決して彼の経営力が評価されてのことではない。「危機的状況」の裏返しである。

いま一つ付け加えておきたいことがある。三菱商事、三菱化学など、三菱グループの有力企業の実力経営者たちからは、合併のニュースがうやむやになる過程でも、三菱重工内部の混乱について、公然と異を唱える声が出なかったことだ。三菱重工の内部で起きた歴史に残る経営判断のミスを、グループにとっての危機とは感じないところに、現在の三菱グループの悲劇がある。

この事件こそ、日本の近代資本主義の転機だったと思う。バブル崩壊後の失われた20年を経て、誰もが時代の転機を感じ取っていた。それを感じ取れないのが、三菱重工業という会社の悲劇だった。

明治維新以降の日本の資本主義の発展史は、日本の銀行制度や株式会社制度を作り、さらには500社に上る株式会社の創設にかかわった「日本資本主義の父」渋沢栄一を抜きに考えることはできない。

保有資産の多寡でいうならば、一代で三菱財閥を築き上げた、岩崎弥太郎にかなう者はいない。しかし、岩崎は、独占を志向する企業家であり、資本家であった。彼には、制度としての資本主義を作り上げようという理想があったわけではない。あるのは、事業とカネへの飽くなき執着だけだった。国家と一体となって動く「独占資本主義」の権化を、日本資本主義の父と呼ぶことはふさわしくない。

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