起承転結話法にあって、正当な理屈にないのは、相手への共感である。起・承では、反論や拒絶がなく、素直な共感と理解が示される。「人にふさわしい贈り物を」という言葉がある。菜食主義者に極上のステーキを出してはいけない。もし相手の求めるものが解決であれば、起承転結話法は何の用も成さない。しかし、もし求めるものが共感なら、それを与えていない正当な理屈のほうが逆に的外れとなる。人は、共感が得られれば、解決がなくても納得することがある。
戻って、「それは、理屈だ!」と叱責する上司への対応を考える。これを言う相手は、根拠のいかんにかかわらず結論が気に入らない、と宣言している。この場合、理に訴えてよいはずがない。相手に共感を示し、情に持ち込む必要がある。それにはまず、相手の望む結論を知ることが不可欠である。すなわち、「では、どうしたらよいでしょうか」と聞くほかない。相手がこの問いに答えてくれたならば、その結論に共感する努力をする。必ず折り合える保証はないが、これが解決に向けた唯一の方法である。
経験則は、理屈に共感が勝ることが多いと教える。だが、その理由は何であろうか。ある視点を持つと、すっきり理解できる。
大脳の「辺縁系」は「新皮質」よりも支配力が強い
夏目漱石は1世紀前、「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」(『草枕』)と論じた。
さて、人生において智と情いずれを尊重すべきかは難しいが、ビジネスに絞れば、理知を重んじ、情緒に流されないのが要諦である。ビジネスで金言とされるものは概して、感情を抑えて理性を重んぜよと説く。この種の箴言(しんげん)が多いことは、理を用いず情に従った結果の後悔が、古今東西、絶えないことを物語っている。
これはどうしたことか、人はなぜ同じ過ちを繰り返すのか、と嘆いているだけでは、進歩がない。では、理をもって分析するとどうか。人間は動物の一種なので、この際、若干の生物的考察が必要になる。
人の感情は、「大脳辺縁系」につかさどられている。大脳辺縁系は脳の古い部位で、魚類にすでに見られる。脊椎動物が両生類、爬虫類、哺乳類と進化するにつれ、脳は大きく発達していくが、辺縁系についてはあまり変化がない。これが爬虫類脳とか、英語ではdinosaur brain(恐竜脳)とか言われるゆえんである。
これに対し、理知をつかさどるのが「大脳新皮質」である。人間の論理思考力は、発達した新皮質の恩恵である。ところが、新皮質が今の機能を持ってから数百万年の歴史しかないのに対し、辺縁系は魚類以来数億年の歴史を誇る。100万円しかカネのない者が、数億円を持つ資産家に張り合っても勝ち目はない。辺縁系と新皮質の歴史にはこれと同様に100倍以上の大差がある。
新旧皮質の実力差は歴史の長さによるばかりではない。より本質的な差は、担っている機能の違いにある。大脳辺縁系は、採食や生殖、自己防衛など、「種」の維持に直結する本能行動を担っている。一方、新皮質は『草枕』の一節をこねくり回したりはできるが、生存に直接かかわる仕事をしているわけではない。
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