もしこの両者から矛盾した指令が出ればどうなるか。心拍数を下げる、体温を上げるなどのことは、理知によってはできない。一方、これらは感情に従って自然に調節される。人体のコントロールにおいては、生存に直接かかわる辺縁系のほうが、新参の新皮質よりはるかに支配力が強いのである。ちなみにさらに内奥にある脳幹部は、大脳の指図など受けず、無意識に黙々と仕事をこなしている。
辺縁系が新皮質よりも強いことは必然であり、生存上極めて重要でもある。もし、呼吸や心拍のような重要な機能を新皮質などに任せたとすると、寝ている間に怖い夢でも見たら、息が止まって朝には死んでいるかもしれない。こうした重要な機能は、新皮質の力の及ばない聖域において、長年の信頼できる専門家たる脳の内部に任せておくしかない。こういう次第で、もし新旧皮質から相矛盾する指令が来たら、脳は旧皮質のほうを優先するという序列になっている。
つまり、生物学的特性として、理と情は、情のほうが強いようにできている。この仕組みには必然の理由があるので、人が動物である以上、根本的に変わりようがないのである。
一例として人事を挙げよう。大経営者が、後継者選びに失敗し晩節を汚すパターンがよくある。大経営者であれば、人の能力を評価する力はある。しかし、能力評価は新皮質の仕事であり、より上位にある辺縁系は、能力ではなく好悪によって人材を選ぶよう命じる。かくて、この勝負は好悪が能力評価に優先し、有能な赤の他人よりも能力の劣る娘婿が跡を継ぐといった結果になる。
もっと身近な部下の課長昇格の判断くらいを考えても同じである。能力に勝るとしても好意を持てない者を優先する判断は、通常できない。好悪により判断し、後付けの理屈を求めてこれを正当化するのが通例となる。
しかし、通常の組織は多少ともこれを避ける知恵はつけてきている。多くの人の評価を合わせて結論を出す方法である。好悪は主観的で、人により分かれるため、多くの意見を集めれば中和される。能力は客観的であるから、多く評価を集めればより精度が上がる。
それでもしだいに「理」は力をつけてきている
理知思考は、生命40億年の歴史の中では新参者で、生物学的には人間の極めて弱い場所に存在するにすぎない。しかし、これが文明を起こし、地球に原始時代とはまったく異なるエコシステムを作り出して、さらに変化を加速している。一方、本能行動(感情もその一部)は、祖先以来の歴史を通じ極めて適合的に人類の生存を支えてきた。
人類の進化とともに、理と情のバランスは、情一辺倒からしだいに理を重んじるように変化してきた。今後も、この動きは続く可能性がある。もし、理が情を脅かすほどの力をつけることがあれば、そのとき、われわれは理に乗って変化を楽しむことになるのか、情にまつわって昔を嘆くことになるのか。考えてみると、好奇心と不安が、理と情が引っ張り合う。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら