韓国が期待する「北朝鮮ビジネス」の皮算用 南北経済協力の推進は経済浮揚につながるか
だからこそ、南北首脳が会うたびに南北の経済協力が主要議題になってきた。ただ、北朝鮮にとって経済協力は、統一のためというよりは資金調達、すなわち体制の維持・安定のために必要なものでもあった。
南北は2000年に行った初の首脳会談で「南と北は経済協力を通じて、民族経済を均衡的に発展させ、社会、文化、体育、保険、環境など諸般の分野での協力と交流を活性化させ、互いの信頼を高めていくことにした」(「6.15南北共同宣言」第4項)と宣言した。
このため、双方は経済協力推進委員会の開催を定例化し、その後の交渉によって単純な貿易という認識を超えて、実質的な経済協力事業を議論し始めた。金剛山観光と開城工業団地、京義(キョンウィ)線(ソウル~新義州)の連結など、いわゆる南北経済協力3大事業が代表的事業となった。
2007年の2回目の南北首脳会談では、「南と北は民族経済の均衡的発展と共同の繁栄のため、経済協力事業を共利共栄と有無相通の原則の下、積極的に活性化させ持続的に拡大、発展させていくことにした」(「10.4宣言」第5項)とし、より具体的な南北経済協力の方向性を定めた。
このときは、建設会社が積極的に参加できる社会間接資本(SOC)事業が多かった。黄海平和協力特別地帯の設置や開城工業団地第2段階開発、汶山(ムンサン)~鳳東(ポンドン)間の鉄道貨物輸送の開始、民間船舶の海州直航路の通過などが宣言文に含まれた。開城~平壌間の高速道路共同利用と南浦(ナムポ)造船協力団地建設事業も同時に行うことにした。
南北の貿易額は徐々に増加
経済協力が本格化するにつれ、南北の貿易額は徐々に増えていった。統一省によれば、経済協力が進んだ2002年の南北交易規模は6億ドルを突破し、北朝鮮にとって、韓国が中国に続く第2位の貿易相手国となった。その後、2005年に開城工業団地が稼働し、交易額は飛躍的に伸びた。同年の貿易額は初めて10億ドルを超え、2015年には史上最大の27億1400万ドルを記録している。
しかし、それ以降、北朝鮮の核実験などで南北関係が急速に冷え込むと、大部分の経済交流事業は中断した。開城工業団地はなんとか稼働を続けていたものの、朴槿恵(パク・クネ)政権は2016年2月10日に突然、同工業団地を閉鎖。その結果、南北の交易額は2016年には3億3000万ドルにまで減少し、2017年にはたった100万ドルにまで落ち込んだ。
この100万ドルの大部分は、政府や民間による人道的支援が占めており、事実上、南北経済協力は消え去ったことになる。統一省関係者は、「開城工業団地を閉鎖していなければ、南北交易額は2015年以降も毎年史上最高額を更新していた可能性が高い」と言う。
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