「元・巨人ファン」が見た巨人ファンの背景 あんなに好きだった巨人と距離を置いた理由
巨人ファンはどこへ流れていったのか?
そして元・巨人ファンが本当にサイレント・マジョリティーであるならば、彼らを追うことが今後の野球界の行く末を占うことになるのではないか。ジュニア世代の競技人口が激減し、危機がささやかれる野球界の課題を意外な角度から見つけることができるのではないか……。そんな思いが頭にもたげてきた。
以来、私は行く先々で「元・巨人ファン」を見つけては片っ端からリサーチすることにした。なぜ巨人ファンをやめたのか? 巨人ファンをやめて、今はどうしているのか? 今の巨人についてどう思っているのか?
そんな私の行動は、「昔の女」の近況を聞いて回る哀れな男のようでもあった。
『巨人ファンはどこへ行ったのか?』はそんな女々しい男が書き綴った、元カノ……もとい読売ジャイアンツと応援する者たちを追いかけた記録である。
本稿ではその中からある1人の野球ファン難民の事例を取り上げようと思う。
野球界を彷徨う「野球ファン難民」
福島県郡山市で生まれ育ったライターのオグマナオトさんは、気づいたときにはもう巨人ファンだったという。
「福島は中畑清さんの出身地ですから、福島県民は基本的に巨人ファンばかりでした。でも、今は楽天が東北にやってきて、楽天ファンも増えているみたいです」
テレビをつければ巨人戦の中継が流れている時代に育った。小学校の登下校中には巨人帽をかぶり、リコーダーで松本匡史の応援歌を奏でながら歩いたという。小学3年生だった1986年、巨人は広島と熾烈な優勝争いを演じた末にゲーム差0ながら、勝率わずか3厘差で優勝を逃した。オグマさんは今思い返しても、当時抱いた「悔しい!」という感情に驚くことがあるという。「それくらい自分は巨人が好きだったんだな……」と。
そんなオグマさんが巨人ファンをやめたのは、1995年10月8日のことだった。
前年の10月8日は、巨人と中日の間で勝ったチームがリーグ優勝という「10・8決戦」が繰り広げられ、巨人が劇的な優勝を飾った。それからわずか1年後、オグマさんはこの日を限りに巨人ファンをやめる決意を固めている。
「原辰徳の引退試合を、自分のファンとしての引退試合にしようと決めていました」
80年代から90年代にかけてチームの顔だった「若大将」こと原辰徳の現役引退。とはいえ、熱烈な原のファンだったわけではない。「もともとやめ時を探していたんです」とオグマさんは語る。
「1990年代前半から、巨人をうさん臭く感じるようになっていました。金満主義が本格的になるのは90年代後半からですが、落合博満をFAで獲ったり(1993年オフ)、なんでもほしがる球団の体質がイヤになったんです。ちょうどそんなときに原が引退したので、ここだなと」
一方、野球界から視線をずらしてみると、1992年にはバルセロナ五輪でバスケットボールアメリカ代表が「ドリームチーム」を結成。マイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソンといったNBAのスター選手が輝きを放ち、金メダルを獲得した。1993年にはサッカーJリーグが開幕。いよいよ「スポーツといえば野球」という時代ではなくなったことをオグマさんは実感したという。
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