オピニオンにポジションを取る
塩野:それとポッと出の書き手は、ある事象に対する歴史的分脈をそんなに踏まえていないですよね。それを踏まえるマインドセットがないと分析もできないし、深いものは書けない。
既存の新聞であれ週刊誌であれ、最近、書き始めたような人は、この事件の背景にはこういうことがあったという視点があまりありません。
たとえば金融行政について書くときに、1990年代後半に山一(証券)や長銀(日本長期信用銀行)の経営破綻や飛ばしの問題があって、金融行政自体も官僚の接待問題や腐敗をさんざん言われて、1回、大転換期があり、再スタートした、という経緯を踏まえて語れるか。
それなりに長く書いている書き手でないと書けないし、それを考える環境にいた人でないと獲得できない能力です。
佐々木:その意味で、日本のジャーナリストが厳しいのは、組織の中でローテーションをするので、ひとつの分野に強い専門ジャーナリストがあまりいません。
塩野:ローテーションせずに同じ部署で専門性を高めていくというよりは、上司から「おまえ、もうちょっと昔のことを調べろよ」と言われる環境にあるかということです。個人ブロガーは上司に何も言われないですからね。
動画などを含めてベストな媒体を選択し、ジャーナリストとして署名に意味があるようにするのであれば、オピニオンにポジションを取るしかないです。ストレートニュースに対して、ジャーナリストが自分はこういう意見だというポジションを取って書けるかどうか。
佐々木:今まではポジションを取らないことが美徳だったわけですから、これからは発想の転換が必要ですね。
塩野:ポジションを取らずにマスを維持することのジレンマを、まさに新聞が直面しています。グローバルでみて、日本ほど特定の新聞の部数が多い国はない。新聞が言う「われわれ」とはいったい誰なのか。
よく言われることですが、年収1500万円の記者が、年収150万円のシングルマザーの「われわれ」に入るのですかと。
佐々木:人々が多様化しているのに、新聞はマスを追わないといけないのですね。
(構成:上田真緒、撮影:梅谷秀司)
※ 続きは10月15日(火)に掲載します
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