最期は住み慣れた自宅で、と考える高齢者が増えている。だが、家族がその希望をかなえてあげたいと思っても、実際にはどうすればいいのかがわからない。1976年を境に病院で亡くなる人が自宅で亡くなる人を上回って40年以上過ぎていて、看取り方を知る人は少ない。
自宅での看取りを希望する家族の不安をやわらげ、必要な作法や考え方を伝えるため、柴田会長は全国6カ所の研修所で看取り士を養成している。2018年2月末時点で全国に約340名の看取り士がいる。
加藤美咲もがんの転移がわかった際、担当医への不信感もあって抗がん剤治療を拒み、自宅での療養を選んだ。だが、昨年9月に肺炎を発症し、やむをえずに再入院することになった。
美咲の自宅療養に、看取り士の大橋はどのように向き合ったのか。
「傾聴と沈黙」で相手にただ寄り添い続ける
看取り士が終末期の人に実践し、その家族にもうながす「幸せに看取るための4つの作法」がある。いずれも「温かい死」へと導くためだ。
②死への不安を共有するために、本人の話を傾聴し、反復し、言葉になら
ない恐怖は沈黙で受けとめる。
③どんな状況でも「大丈夫」と声をかける。
④看取る際には抱きしめて、呼吸を合わせて一体感で包み込む。
美咲が亡くなる約3週間前から、大橋は彼女の自宅へ通い始めた。美咲の「自宅で点滴したい」という希望を踏まえ、大橋が代表を務める訪問看護ステーション「もも」(長崎県)から、看護師が同行するようにもなった。
「たとえば、『5人の子供たちを残して、まだ死ねない!』とか、『泣きたいけど、泣けないんです』とか、1日約3時間寄り添うことで、美咲さんも時々、僕らに弱音をこぼされましたよ」(大橋)
美咲も看取り士の大橋になら、「死」について口にすることの気兼ねはなかったはずだ。相手の不安を分かち合うことも、看取り士の大切な仕事。
大橋は、美咲の立場になって彼女が痛がる所をさすり、トイレに行く際には付き添い、彼女の話を黙って聞き続けた。「何もしてあげられない無力な自分として、ただただ寄り添い続けました」と彼は話す。
決して簡単なことではない。37歳の母親の「まだ死ねない!」などの言葉を受けとめ続けた、大橋自身の消耗もかなりのものだっただろう。
柴田会長は大橋が語った無力感について補足する。
「死を前にすれば、優秀な医師や看護師も、医療従事者でもない私や大橋と同じように無力です。でも、その段階で相手にまだ何かをしてあげられるのではないかと思い上がっても、結局は何もできないんですよ」
無力な自分を直視しながらも、前向きな死生観を持っていれば、看取り士は死の恐怖におびえる人にも「大丈夫」と言える、と柴田会長は続けた。
「死によって体を失っても、人は家族の良い心と魂の中で生き続けられる。そう強く信じているからです。だから死は決して怖くないんです」
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