人とのコミュニケーションの取り方に悩みながらも、中村さんは高校を卒業。リハビリの専門学校へ進学した。自分が発達障害だと知ったのは専門学校1年生のときだった。
「専門への進学を機にひとり暮らしをしていたのですが、実習先の病院が実家の近くだったので、実習期間の1週間だけ実家に帰って実習に通っていたんです。でも、実習で『なんで普通ならできるのにそんなこともできないの?』と言われたり、何気なく言った言葉だったのに『患者さんに対してそういう言い方はよくない』と怒られてばかり。パーソナルスペースも注意されました。
失敗ばかりの実習期間を終えて、ひとり暮らしの部屋まで親が車で送ってくれている車内で、親から自分はASDであることを告げられました。それから1週間くらいはイライラしていて、テンションも下がりっぱなしでした。実習後は実習で得た学びをレジュメにまとめて発表をしなければならなかったのですが、そういうことすらどうでもよくなってしまいました。正直なところ、今まで発達障害だと教えてくれなかった親を恨んでしまいました」(中村さん)
中村さんの周りの友達は、アルバイトなどを通してコミュニケーション能力を身に付けているように見えた。中村さんは1日で終わる日雇い派遣バイトのみで、長期間のバイトをしたことがなかった。
そこで、コミュニケーション力の向上を目指して、発達障害の子ども向けの支援施設でボランティアを始めた。子どもの親と施設の先生が話している間、子どもたちと遊ぶ仕事だった。同じボランティアのメンバーからは「だいぶコミュニケーションが取れるようになったね」と言われ、自分でも成長を実感していた。
発達障害であることを告白し実習内容を配慮してもらう
3年生になると3週間の実習があった。このとき、中村さんは担任にASDであることを告白した。すると、「実習先の病院にASDということを伝えて実習内容を配慮してもらおうか」という話になった。しかし、そんな配慮をしてもらったのに実習の結果は散々だった。
「高校までずっと野球をやっていたので、本当はプロ野球選手になりたかったんです。でも、ケガで野球を続けられなくなり、親も納得する仕事だったので理学療法士を目指すための専門学校に進学しました。実習先に配慮してもらっても結果が悪ければ、学校をやめようとすら思っていました。
それを親に伝えたところ『学校をやめるなら実家に戻ってこい』と言われました。実習先に配慮をしてもらったのにもかかわらずうまくいかなかった。その結果にムキになってしまい『自分だって本気でやればできるんだ』と、再び理学療法士への道を進むことにしたんです」(中村さん)
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