モード誌の大戦争時代に、何が起きたか
――本拠地のアメリカでは、とても歴史の古いファッション誌なのですね。
ええ、まさにパイオニア的存在です。創刊は146年前で、当時から女性が編集長を務めていた、革新的な雑誌です。創刊から一貫してアートやクリエーションの感覚をとても大事にしていて、いつの時代も、有名な写真家や画家が表紙を手掛けています。『Harper’s BAZAAR』を通じて有名になったアーティストも多く、アメリカでは業界の登竜門的な位置づけにもなっているんですよ。
――過去に、日本版を展開されていましたが、一度、撤退しています。なぜ、うまくいかなかったのでしょう?
前回は2000年から、約10年間出していました。確かに一度、休刊になった雑誌を復活させるのは勇気がいりますよね。しっかりリスクを考える必要があるだろうと思い、今回、編集長就任が決まってから、前の日本版で編集長を務められた方々に会って、うまくいったこと、うまくいかなかったことについてヒアリングをしました。
まず根本的なことですが、前回は日本の小規模な会社がライセンスビジネスとして展開していたため、本国とのやり取りが不十分でした。私も当時、たまたま創刊号を買って読みましたが、歴史ある雑誌のDNAがきちんと反映されているかというと、そうではないなという印象を受けたのを覚えています。『Harper’s BAZAAR』を求めて買う人にとっては、少し物足りなかったのではないかと。
そうこうしているうちに、日本でもインターナショナル誌だったり、日本オリジナルだったりのモード誌がどんどん出てきて、大戦争時代になりました。その中で『Harper’s BAZAAR』は、うまく立ち位置が確立できなかった感があります。読者の目を引くようなチャレンジをしている時期もあったのですが、それが浸透し、定着していくことができず、休刊という形になってしまいました。
――その点、今回は、米国ハースト社の直轄で雑誌が作られるというわけですね。
そうです。私自身、別の雑誌でライセンス誌も直轄誌も経験していますが、直轄のほうが本国の“運命共同体”という感が強くなりますね。そもそも『Harper’s BAZAAR』を再開するきっかけとなったのが、当社が2011年の7月にハースト社の傘下に入ったことでした。親会社の持っているタイトルを日本でももっと展開していこうという中で、手始めに『Harper’s BAZAAR』を、ということになって。
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