そのほかにも心疾患や認知症、精神疾患など多くの病気のリスクを高めると考えられている。では、孤独はどのような作用によって人体にこれほどのダメージを来すのだろうか。
古代から、人間が敵と戦い自らの生存を担保していくためには、何より、他者との結びつきが必要だった。敵を倒すために共に戦う。食べ物を共に確保し、分け合う。そのつながりから放り出され、孤立することはすなわち「死」を意味していた。「孤独」という「社会的な痛み」は、のどの渇きや空腹、身体的な痛みと同じ脳の回路によって処理され、同等、もしくはそれ以上の苦痛をもたらす。
孤独な人に「孤独に耐えろ」というのは残酷
そのつらさを避けようと、水を飲んだり、食べ物を口にするように、孤独な人も「苦痛」から逃れるために、自らつながりを求めるようになる。これが人を孤独から遠ざけようとする、本能的なディフェンスメカニズム(防御機能)の基本的な仕組みだ。
つまり、孤独な人に「孤独に耐え続けろ」というのは、水を求める人に「水を飲まずに我慢しろ」というぐらいに残酷なことでもある。社会性を持った動物は、身体的な痛みと孤立、どちらを選ぶのか、という選択を迫られたとき、身体的な痛みを選ぶのだという。
刑務所において「独房監禁」が最も残酷な罰の1つであることを考えれば、納得がいく。孤独が常態化すると、その「苦痛」につねにさらされることとなり、心身に「拷問」のような負荷を与えてしまう。身体のストレス反応を過剰に刺激し、ストレスホルモンであるコルチゾールを増加させる。
高血圧や白血球の生成などにも影響を与え、心臓発作などを起こしやすくする。遺伝子レベルでも変化が現れ、孤独な人ほど、炎症を起こす遺伝子が活発化し、炎症を抑える遺伝子の動きが抑制される。そのため、免疫システムが弱くなり、感染症や喘息などへの抵抗力が低下し、病気を悪化させる。
また、いったん孤独になると、再び、人とつながることを極端に恐れるようになる。一度拒絶された「群れ」に戻ろうとすることは、再び、拒まれ、命の危険にさらされるリスクを伴うからだ。
それよりは、何とか1人で生きていくほうが安全だ、と考えて、閉じこもりがちになる。また、慢性的な孤独下に置かれた人は、ほかの人のネガティブな言動に対して、極度に過敏になったり、ストレスのある環境に対する耐性が低くなる。さらにアンチソーシャル(非社交的)、自己中心的になり、孤独を深めていく、という悪循環に陥りやすい。
人間関係はとかく面倒くさい。そうした関係性そのものがストレスの原因、という考え方も理解できる。前述のショーペンハウアーの寓話として有名なものに「ヤマアラシのジレンマ」というものがある。ヤマアラシが互いに身を寄せ合って暖め合いたいが、針が刺さるので近づけないという状態の中で、「自己の自立」と「相手との一体感」という2つの欲求によるジレンマに悩まされるというものだ。
「人間は考える葦(あし)である」との言葉を残したフランスの数学者パスカルは「すべての人間のみじめさは、1人、静かな部屋でじっと座っていることが出来ないことに起因する」という言葉を残したが、まさに人間は、「1人、自由にはなりたいが、孤独にはなりたくない」という厄介な選択に悩まされる存在ということなのだ。
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