基本的にエネルギー効率が悪く、冬が寒い東北において特に必要性を感じたことがあるとすれば、それは当時すでにアメリカで動き始めていた脱炭素。当時、私が書いた論文や書いていた記事を改めて読み返してみると、すでに「脱炭素こそ、これからの経済活動のキーワードとなる」、とあちこちで書いていますし、実際にそれを実行する会社をアメリカにいくつか設立し、いずれも大成功を収めていますから、思った通りの展開になっていると言えましょう。
脱炭素から遅れ、代替エネルギーに終始する日本
これはもう、先日のCOP23(国連気候変動枠組み条約第23回締約国会議)のお話をするまでもなく、ちょうど震災のあった2011年、すでに世界では抗いがたい潮流として「脱炭素」という方向性が確立したといっていいでしょう。
非常に残念だったのは、日本では原発被害が極めて大きかったために、エネルギー問題がともすると代替エネルギー問題に取って代わられてしまい、「原発がなくなったらどうすんねん」、「太陽光だけじゃ足らんだろ」……的な矮小な議論に終始していったことです。
当時はすでに脱炭素、つまり代替エネルギーの開発も含めて、そもそも炭素を燃やさないためにはどうすればいいか、という方向性が定まっていて、世界中の最先端の技術がそちらに向けて全精力を傾けていったにもかかわらず、日本では後者の議論がいまだにほぼゼロ、というのが現状です。現状だけでいうと、対中近東に毎年3兆円以上の「油代」を払いつつ、化石燃料を燃やし続け、じゃぶじゃぶと油を流しているというのが日本の姿で、そこには将来の日本のエネルギー問題そのものをどうするか、という問題意識はゼロに見えます。
実は日本では脱炭素、と私が言うといまだに「なんですかそれ?」 と真顔で聞いてくる大手企業幹部が日本には多数いるのが現実なわけです。代替エネルギーならわかる(太陽光とか風力でしょ? とすぐ答えが返ってくる)。しかし、脱炭素なんて考えたこともないんですね。
私が当時から書いているように、脱炭素に真面目に取り組んでいない企業はすべての面で(資本、消費、人材あらゆる分野で)取り残され、数年中に「環境テロリスト」と呼ばれるようになるでしょう。北朝鮮が「核拡散テロリスト」なら、それと同等、もしくはさらに悪いと見られかねない「環境テロリスト」が今の日本なのです。「いや、違う!」といっても仕方がないんです。北朝鮮と同じように世界からそう見られているという厳然たる事実があるのですから、違うなら、「違う!」ときちんと反論せねばなりませんが、どうにもできません。
先ほどから申し上げているように、日本は2011年にあの大震災があったのですが、そのショックはむしろ海外で真剣に受け止められ、ドイツは福島原発の大事故を目の当たりにして原発を止めにかかった。原発推進派だったアメリカ、中国でさえも原発は危ないと考えはじめ、自然エネルギーに大きく舵を切る。
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