灘中学・高等学校――。もはや説明は不要だろう。東京の開成と並んで、日本の頭脳を担う人材を生み出す超有名進学校だ。では実際のところ、灘ではどんな教育を生徒にしているのだろうか。今回の取材では、和田孫博校長の他に、現役の高校生と彼を育てた教員にも話を聞くことができた。
――東の開成、西の灘と言われていますが。
ええ、そのように言われることは多いと思いますが、開成さんとのライバル意識はあまりないですよ。「灘」と言っても、日本中から天才が結集してくるわけじゃありません。通ってくるのはほとんどが近畿圏の子供たちですよ、あくまで「地方の一私立高校」、という位置づけですよ。
――「灘は地方の一私立」なんて言わないで下さいよ(笑)。東大合格者の数だって多いですよね。
確かに東大に進学する生徒は多いです。入学してくる多くの生徒が東大を目指していますから、上京志向は強いでしょうね。でもこの連載に出てくるほかの私立みたいに、独特なカリキュラムがあったり、何か特別なことをしているわけではありません。校風も自由だし、制服はありません。そのうえ「あれがダメ、これがダメ」と締め付けるような校則もありません。生徒たちは好きなことを好きにやったらええと思います。
生徒たちの知的好奇心に任せてなんでもやる。だから、小学校のときのように「勉強ができる」という評価軸だけの生徒は、灘に来てもつらいうえに、つまらんでしょうね。なにせ上には上がいるということを、嫌というほど思い知らされますから。入学時に鼻っ柱は木っ端みじんになりますよ。私も灘でそういう経験をしたひとりです。灘に入学するまでは大阪では結構賢い自信があったのですが、入学したら上には上がぎょうさんいて……。
じゃあそれからどうするか、となっても、学校側からは「自由にどうぞ」というわけですからシビアですよね。よく生徒に言っているのは、「自由と言うのは、ぬるま湯におるんとはちゃうぞ」ということです。芥川龍之介の『侏儒の言葉』の中に「自由とは山巓の空気に似ている」という言葉があります。山頂の空気はすがすがしいけど、そこに至るまでの道のりは険しいし、体が弱いものにとっては山の空気は薄くて苦しい。自由を謳歌するために自らを律することも必要や、ということですね。