それで「ハマった」のが物理でした。そこで中1のときに「物理チャレンジ」(注:国際物理オリンピックの国内選考会)に挑戦しました。そこからは独力で高校生が読む参考書を読んで高校1年のときに日本代表に選ばれて、2年連続で参加しています。
中1から高校生の参考書を読む
――え? 中1のときに高校生の参考書読んでたの? それまでで習う「理科」って「滑車」とか「てこ」とかだよね?
はい。ですから、最初は大変でした。でもどんどんのめり込んで行って、気づいたら物理が自分の中心になっていました。
――すごい……。灘高生は天才とか言われているけど、それについてはどう思う?
天才というか、個々人がある程度の才能があるというか、器用なところがある。何をやってもできる。でも灘ではそれじゃあやっていけない。各人がそこから好きなことを見つけて、徹底的に磨いていく。一人ひとりが別々の方面で目立っています。だから「灘は天才」というふうに見えるんじゃないでしょうか?
大森君の物理の才能はいつ開花したのだろうか。先ほど、校長先生が言っていたように、灘は1学年の担任が6年間持ち上がっていく制度だ。大森君など、今年度の国際物理オリンピック代表5人のうち3人の灘生を育ててきた浜口先生に話を聞くことができた。
「先生が生徒に磨かれる」とは?
私が校長の話を聞き、実際に生徒にインタビューしたかぎり、灘の生徒は間違いなく「超優秀だ」。となれば、教える側の先生としても「生徒にきちんと説明すればわかる」、どころか、「説明しなくても自分たちでどんどん吸収していく」のだから、灘で先生をすることは、ある意味、「楽」なことだろうと思っていた。
だが、「灘で教えるということは非常に大変なことです」。浜口先生の口からはまったく予想と違う言葉が返ってきた。
「物理にはいろいろな解法があります。灘の生徒たちはさまざまな角度から問題を解いてくる。それが正解なのか、間違っているのか、時には私にも思いもよらないような解き方をしてくる生徒もいます。そういったことに対して、どう応えるのか。灘で先生をやるということはとても難しい。“先生が生徒に磨かれる”という現象は“灘ならでは“でしょうね」
確かに、国際物理オリンピックでは「一般相対性理論」など高校で習う範囲をはるかに超えた問題が出題される。高校で習う範囲の物理を教えて“それで終わり”ということはありえない。先生に求められるハードルは高い。しばしば灘の先生たちが口にする「生徒によって先生が磨かれる」というウソのような言葉も、にわかにリアリティを増す。
では、大森君のような中1から「高み」を見据える生徒たちをどう「導く」か。浜口先生の場合は大森君たち3人が授業の間に「遊び」で黒板に書き殴っていた物理の数式だったという。
大森君の数式は、美しかった……!!
「彼らの遊びで書き殴っている数式が“美しかった”のです。これは長らく物理の先生をしていないとわからないことですが、“美しい数式”というのが厳然と存在するのです」。そのうえ話を聞いてみれば本人たちにはやる気があった。灘の先生たちにとっては「それだけ」の理由で十分だったという。あとは彼らが自由に知的好奇心を満たせるように補助をするだけだ。それにしても美しい数式というのが存在することに驚いた……。
浜口先生に話を聞いたのはたまたま物理オリンピック壮行会の7月。ふと気づいたのだが、普通の学校であれば期末テストのシーズンだ。期末テストは別の日に受けるのだろうか。質問した私に対して「期末試験のシーズンでも公欠。全部休みですわ。一日も試験なんか受けません。でもそれでええんです。成績なんて試験以外でもいくらでもつけられますし、何とでもなります。それよりもあいつらのオモロいようにしてやるほうが大事です。」灘らしい「あっぱれ」な教育方針だ。
学校の定めたカリキュラムをこなすことに汲々とする学校は多い。というか、そういった学校が大半だろう。だが灘には生徒を育てよう、伸ばそう、という意気込みが感じられる。
(撮影:ヒラオカスタジオ)
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