――なるほど。それでも驚異的とも思える大学合格実績ですね。やはり独特なカリキュラムはあるのではないですか?
カリキュラムは文科省の指導要領に沿っていますが、その展開の仕方が独特なのでしょうね。先ほども言ったように、灘の生徒はどこか一点ず抜けている生徒が多い。だから、教え方にも工夫は必要でしょう。たとえば、「漢字を覚えるために200回書いてこい」と言っても、1回見ただけで覚えられる生徒がいるかもしれない。「100マス計算をやれ!」と言ってもパッと見ただけで、できてしまう生徒もいるかもしれない。そういう生徒にとっては命じられてやる勉強は苦痛でしかないのです。
だから学年ごと、クラスごと、極端な話、生徒ごとに工夫が必要なので、個々の教員に自由な教え方を認めています。たとえば英語を教えているキムタツ先生だっていい例です。過去には3年間かけて小説を1本だけ読むという現代国語の橋本先生という方もいらっしゃいました。
3年間で小説を1本読む国語の授業
――小説1本を3年間ですか……。やっぱり独特じゃないですか(笑)。
“独特”というか「灘ではこうやって教えなさい」という基準がそもそもありません。もっとも、奇をてらったことをしようということではありません。あくまで“面白い授業”が大切です。
私も、橋本先生に国語を教わりましたが、確かに面白かったですよ。『銀の匙』という小説があるのですが、それを3年かけて読み進めていく。とは言っても、決して進むスピードが遅いということではありません。
たとえば、物語の中に「犬も歩けば棒にあたる」というカルタの言葉が出てくれば、古今東西、それこそ日本全国から時代は江戸や明治にまでさかのぼって「犬も歩けば棒にあたる」カルタの実物を生徒に見せます。ある地方名産のお菓子の話が出てくれば実際にその地方から取り寄せて、みんなで食べてみる。“進度”よりも“深度”を重んじる授業でした。
一方で数学はといえば、演習をこなす。よく、公立の先生が見学にいらっしゃいますが、「公立の3倍くらいの量をこなしている」と驚かれます。前後の黒板をフルに使って、問題を生徒たちに解かせる授業ですね。
10人の先生がいれば、10通りのまったく違う教え方がある。だから、どの先生が「灘らしいか」ということは、なかなか言いにくいですね。自分なりの教え方をしている先生が多いのです。そうした先生たちが中1から高3まで持ち上がりで教える。それも英語・数学などの基礎5教科のほかに、芸術、体育の先生たちも一緒に12歳から18歳の間、持ち上がります。そのせいかもしれませんが、学年のカラーはまったく違います。よく、「灘の中には6つの別々の学校がある」と言われるほどです。