伝説のプログラマーが守り切る誠実な生き方 永遠のパソコン少年が突破した壁の先
――未来への「ワクワク感」が中島さんを動かしている。
中島氏:昔から「直感」で動いているんですね。コンピュータ好きの少年がそのまま大人になったような感じで、今も根の部分はそこから何も変わっていないんじゃないでしょうか。自分で言うのも何ですが「永遠のパソコン少年」です(笑)。ずっとプログラムを組みながら、未来を想像することに、大きな幸せを感じています。こうした生き方を可能にする、コンピュータ、プログラミングに出会えたことは、とても幸運なことだと思っています。
幼いころに心奪われたものが、真の道となる
中島氏:よく言うと好き嫌いのハッキリした、要は「嫌なことは嫌」というワガママな子どもだったそうです。小学生の頃、漢字の書き取りが本当に嫌で、ある時、見本となる字の裏に光を当てれば、上からきれいな字を容易に「量産」できることを発見して、それで切り抜けるようとするなど「嫌なものへのムダな努力」を、なるべく避けようと工夫をしていました。
その代わり、好きなことは、周りから見て異常なくらい没頭していたようです。完全なる理系で、講談社のブルーバックスが愛読書だったのですが、数学の確率の話を読めば、本当にそうなのか実証したくなって、1000回くらい、部屋でひたすらサイコロを振っていたこともあります。また、「化学実験」にハマれば、小遣いをすべて秋葉原の電気街で、実験セットを買うのに費やしていました。アルコールランプからガスバーナーまで揃えて、四畳半の自分の部屋はさながら実験室と化していました。劇薬は小学生では買えないので、その元になる成分を調べて、手に入るもので自分で生成していました。とにかく興味があることには、際限なく行動していたようです。
――「没頭グセ」があった。
中島氏:その没頭グセにぴったりとハマったのが、17歳の時に出会ったプログラミングだったんです。母方の親戚に、古い自転車が2台あれば、それを合わせて1台新しく作っちゃうような「機械大好きおじさん」がいたんです。ぼくはそのおじさんのことが好きで普段から仲良くしていました。ある日、そのおじさんが「NECが、TK80というマイコンを発売したぞ!」と、興奮気味に、記事までスクラップして、ぼくに教えてくれたんです。
はじめてその記事を目にした時、理由はよくわかりませんが、「これは絶対欲しい、手に入れなければ!」と思ったんです。当時、8万円くらいして、お年玉をかき集めても買えないような高価な代物でした。それでも「かならずこれで稼いで元を取るから」と親を説得して、なんとか手に入れることができました。