高級ミニカーに魅せられた男の並外れた情熱 知らなくてもいいが知ろうとしないのは罪だ

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――「好き」が喜びに繋がっていく。

小林氏:喜びは自分だけではありません。雑誌づくりでは、自分たちで企画を提案して、それが誌面となり読者の皆さんからダイレクトに反響がいただけます。企画に協力してくれたメーカーや業者の方々から「自分たちが関わることができて嬉しかった」という、自分にとって最大級の褒め言葉を聞けることも何よりの励みでした。

定年を待たずして突然の「脱サラ宣言」

喜びを伝える編集者として

小林氏:その自動車雑誌で10年編集者を務めたのち、さらに今の仕事に直接繋がるきっかけとなった「趣味に真剣に向き合う出版社」へ転職することになったのも、雑誌づくりの醍醐味を知ってしまい、もっといろいろなジャンルの雑誌に携わってみたいと思った自分の想いからでした。結果的にここが編集者として一番長い職場となり、またサラリーマンとして最後の職場にもなりました。実は、この出版社に入れたのも、縁のあった先輩に「そんなに雑誌づくりが好きなら、もっと幅広いジャンルでやってみないか」というお声がけいただいたのがきっかけでした。

「自分が作りたいものが作れる」と思って入ったのですが、最初は自分がやってきた自動車の分野とは少し違う雑誌の担当から始まりました。ラジコンにはじまり、趣味系の自転車、スポーツ、ライフスタイル、日本酒と、あらゆる「趣味」を突き詰める雑誌づくりを手がけていました。自分の興味のあることを積極的に雑誌にしていくという編集者としての楽しみを見出し、徐々に自分で企画した雑誌・ムックも出版できる立場になりました。その中の一つが「モデルカー」を扱った雑誌だったんです。

自動車雑誌編集者時代からモデルカーを集めるのも趣味の一つでしたが、その頃からあるブランドの体系的なカタログ本がないことに不満を持っていて、「その本を読みたい、作ろう!」と思ったんです。この時、ドイツのニュルンベルクで開かれていた世界規模の玩具見本市に参加し、そのメーカーに掲載許可を取りに向かったのですが、メーカー側から「これは俺たちが作ろうと思っていたから、許可は出せない」と言われてしまうハプニングもありました。

なんとか交渉の結果、使用料を払うことで掲載許可を得たのですが、使用料を払ってもなお、十分採算が取れるという勝算がありました。なぜなら、作ろうとしていたカタログ本は、コレクターである自分が、真に欲しているものだったからです。勤めていた出版社の社長からも心配の声が上がりましたが「絶対売れる」という自分に対して、「一度作り手が真に出したいと思った時点でマーケティングはできている」と言ってくれ、GOサインをいただきました。満を持して非売品のモデルカーも企画して展開したところ大ヒットを記録し、逆に海外でも英訳されて流通されるまでになりました。

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