インスタ女子も魅了「江戸風鈴」製作の舞台裏

大正以来変わらぬ製法で「日本一の音」を守る

惠美氏は、3代目の裕氏と結婚して以来、絵付けを担当してきた。8色の油性顔料を油で溶いて、筆や刷毛を使い分けて風鈴の内側から絵付けをする。顔料をたくさん塗ると江戸風鈴特有の柔らかい音がこもってしまうので、その点には注意を払う。こうした作業を、1日当たり最低でも150個は手掛けるという。

江戸風鈴の特徴、「宙吹き」の様子。2人1組で行う(筆者撮影)

人気のある絵柄は、時代によって変わってきた。「風鈴は元来、赤く塗られ魔除けの効果があるものとされていたので、昔は赤色が主流でしたが、今は透明感があって細かく涼しげなデザインに人気が集まっています」。惠美氏の得意な絵柄は、金魚だ。なお、「絵付けの前に音を鳴らしてみて、気に入らなければ、近くに置いてあるバケツに落としてつぶしてしまうこともあります」と、惠美氏。職人としての厳しさが垣間見える。

絵付けの様子。内側から筆や刷毛で描く。かつては魔除け効果のある赤色が主流だったが、現在は繊細な絵柄が人気だ(筆者撮影)

篠原風鈴本舗の現在の年間製作数は4万~5万個。秋から冬にかけて製作のピークを迎え、出荷対応に追われる夏場が一番の繁忙期だ。

卸売り店、百貨店などへの出荷に加え、インターネット通販も行っている。依頼があれば、オーダーメードの風鈴を作ってもらうことも可能だ。

若者や外国人観光客に製作体験が人気

風鈴の製作・販売に加えて、現在人気が高いのは、繁忙期を除いて行っている風鈴の製作体験だ。学校の社会科見学などの団体や個人に加え、近年は外国人観光客もやってくる。年齢層は、圧倒的に若い人が多いという。

篠原風鈴本舗の製法は、大正時代からの伝統がある。初代の藤田又平氏は、13歳のときに新潟県仁嘉村(現在の見附市)から姉を頼って東京へ上京。又平氏は、区役所戸籍係の給士として働くことになったが、慣れない接客も多く、わずか1カ月ほどで退所。行くところがなくなり、浅草の瓢簞池近くで餓死寸前寝ていたところをお坊さんに助けられ、仕事も世話してもらった。新たに働く場所となったのは、蔵前にあったガラス工場。そこで10年近くにわたり風鈴作りの技術を学んでいたのだが、親方が亡くなったのをきっかけに独立の準備を進め、1915(大正4)年に台東区入谷に風鈴工場を開業。その後、篠原ケサノ氏と結婚して篠原姓になった。 

現在会長を務める2代目の篠原儀治氏(1924年生)は、この又平氏の息子だ。「江戸風鈴」という名称は、江戸で江戸時代から作られている風鈴であることにちなんで、昭和40年頃に儀治氏が名付けたブランド。当時は、浅草のほおずき市や祭りが主な販売先で、その時期になると注文対応で多忙を極めた。「ほおずき屋さんが足りなくなった風鈴をここまで取りに来て「絵は何でもいいよ!」と慌てていたこともありましたね」(惠美氏)。

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