東京の銭湯で今、密かに起きている「革命」 銭湯建築家、今井健太郎が語る銭湯の強み
ここ数年、銭湯がテレビや雑誌で取り上げられることが増え、ちょっとしたブームとも言えるが、反面、廃業する店は依然として後を絶たない。銭湯の数が最も多かったと言われる1968年、都内には2600以上の銭湯があったが、2016年には約600件にまで数を減らした。背景には客離れや経営者の高齢化、後継者の不在などの問題がある。
銭湯に、内風呂にはない価値を
高度成長期から内風呂が急激に普及(総務省「平成20年住宅統計調査」によると、住宅の浴室保有率は95.5%)して以降、業界は普段使いでなくなった銭湯に、内風呂にはない価値を見出す、または作り出していくという課題と向き合っている。
1990年代後半から2000年代前半にかけてブームとなった「スーパー銭湯」は、健康ランドよりも安価に、かつバラエティーに富んだ設備を楽しめることで「お得感」や「レジャー感」という新しい価値を生んだ。他方、しばしば雑誌やテレビで「昔ながらの銭湯」に光が当たるのは、かつて日常だった風景が非日常に転じたことによる、価値の掘り起こしと捉えることができる。
町田市に大蔵湯という銭湯がある。1966年創業の老舗だが、2016年12月に全面改装が完了し、リニューアルオープンした。同店は近年、周囲にスーパー銭湯が複数できたことで、経営の展望に厳しさを感じていた。挽回(ばんかい)策としてのリニューアルだったが、完成した浴場は、「あつめ」「ぬるめ」「水風呂」と温度別の風呂があるのみという、非常にミニマルな作り。この思い切った設計を行ったのが、本記事の主役である建築士の今井健太郎だ。
「町の外風呂として」あえて「静かな銭湯」を目指したことが、これまでにない価値を生み、大蔵湯には再び多くの客が訪れるようになったという。クラシックな魅力がありながら、どこか新しい。そんな今井の仕事を、本人へのインタビューで紐解いていこう。
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