滅菌一筋、93年――。滅菌装置専門メーカーとして最大手の一角をなすウドノ医機は、1924年(大正13年)に日本初の滅菌装置メーカーとして創業して以来、3代にわたって、ひたすら専業を貫いてきた。2016年12月までにウドノ医機が出願した特許は22を数える。
滅菌装置とは、一般的にはなじみが薄いが、病院や研究機関、医療機器メーカーなどに設置されている、装置や器具を滅菌処理するための装置のこと。知らず知らずのうちにウドノ医機の滅菌装置で処理された医療機材にお世話になった人は多いはずだ。
従業員は2016年度で100人。世襲で3代続いてきた。直近2016年8月期の業績は、売上高22.7億円に最終利益3500万円。
その他の分析指標を見つめても、財務体質は特に秀でているわけではなく、歴史の割には凡庸といっていいくらいだ。それでも、時代が移り変わる中で、多角化戦略をとらずに生き残り続けてきたその強さの秘密は、いったいどこにあるのだろうか。
ウドノ医機の前身、鵜殿工業所は、滅菌装置メーカーとして1924年に東京都浅草区(現:台東区)浅草小島町で産声を上げた。創業者の鵜殿廣久は、横須賀の浦賀で軍艦への蒸気消毒器の取り付け作業に従事していたが、当時の消毒器はすべて外国製。そこで、これを研究し、国産品として製品化したのが発端だ。
1号機の納入先は、日本陸軍
滅菌装置第1号の納入先は、日本陸軍。野戦病院用の消毒装置だった。その前年に発生した関東大震災の記憶も生々しいこの時期、仮に病院が被災しても消毒作業が可能な可動式の装置は、大いに必要とされた。その後、日本は長い戦争の時代に突入していくが、軍がこの消毒装置をどのように活用したのかは、資料が残っておらず、よくわからない。
ウドノ医機として法人化したのは、終戦後の1949年のこと。それ以後、脇目もふらずに滅菌装置を作り続けてきた。
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