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創業93年、滅菌メーカー「一直線経営」の裏側 この世に菌がある限り、技術革新し続ける

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  • 車 克成 帝国データバンク 東京西支店記者
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画期となったのは、1965年に日本初のリモートコントロール式の滅菌装置を納入したことだ。当時の滅菌方法として最も伝統的かつ一般的だったのは、高圧水蒸気法。ただ、密閉空間において高圧かつ135度以上の高温の水蒸気で滅菌するため、密閉空間の開扉時に作業員への危険性が伴うものだった。このリモートコントロール式の滅菌装置により、この危険を排除することに成功したわけだ。

1976年には、創業者の廣久が死去。長男の文雄が跡を継ぐことになった。同年には八王子に現在の工場が竣工。代替わりしてからも専業の姿勢は変わらず、ひたすら技術革新を続けていく。

1979年には、国産初のコンピュータ制御による滅菌装置シリーズを発表した。この頃に普及していた滅菌方法は、毒性の強い「エチレンオキサイドガス」を活用したもの。高温高湿に耐えられないプラスチック製品などの弱い素材や、筒など複雑な形状を持つ医療機器でも効果がある点がメリットだった。一方で、残留ガスが人体等に悪影響を及ぼす可能性も指摘されていた。コンピュータ制御を可能にしたことで、作業者の安全性確保が図られることになった。

「事業の多角化は手を抜くことになるだけ」

20年前、文雄はマスコミからの「多角化経営はしないのか」という質問に対し、「二足のわらじは履かない。事業の多角化は手を抜くことになるだけ」と答えている。ここに老舗としての矜恃が垣間見える。自ら退路を断つことで前進することに集中。ひたすら、技術革新と病院や大学等研究機関、下請けの協力会社などの取引先との良好な関係を維持することに努めた。

多角化せず専業を貫くことは、決して進化を否定することではない。むしろ、専業を貫くためには自社の領域につねに新しい技術や発想を取り込まなければ、社会の変化や技術の進歩に取り残される。こうした経営哲学をもって、文雄は「変えてはいけないこと、変えなくてはいけないこと」をわきまえた名経営者となった。

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【技術部門と営業部門、どちらも経験】

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