苦渋の決断だが迷いなし キリンホールディングス名誉相談役・佐藤安弘氏④

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さとう・やすひろ●キリンホールディングス名誉相談役。1936年生まれ。58年早大商学部卒、キリンビール(現キリンホールディングス)に入社。2度の出向経験を経て90年取締役、96~2001年社長。01~04年会長。

限られた中で最大限の努力をする

社長在任時に下した最も大きな決断といえば、1997年に東京、広島、京都の3工場の閉鎖を決めたことです。これだけではコスト削減が不十分だと考え99年には高崎工場の閉鎖も決めました。

ビール市場でキリンのシェアは低下していましたが、赤字になっていたわけでありません。連結での営業利益は当時600億~700億円ありましたから、世間的にはまだまだ余裕があったと言えるかもしれません。しかし、高度成長期に急膨張し高コスト体質になっていたので、いつか改めなければと考えていました。国内市場が成熟する中で、明らかに供給能力が過剰でした。ビールは装置産業ですから全国に工場が分散しているより、一定の規模に集約したほうがいい。

取締役会で閉鎖を決めてすぐに工場へ向かい、社員に詫びてからなぜ閉鎖が必要か説明をしました。社員の一部には黒字なのになぜ、という思いもあったでしょう。東京工場で女性社員に泣かれたときはつらかったですね。家庭の事情などで転勤が難しい社員もいたため、退職金の割り増しで対応しました。退職した人たちはキリンの将来のために犠牲になってくれたのです。その痛みを共有したいと考え、職場を失う人たちの声を社内報に載せました。中には厳しい言葉もありましたが、あえて掲載しました。

経営者にとって工場の閉鎖を断行するには勇気がいります。雇用問題や社内の士気の低下、それに工場のある地域社会とのつながりもある。大概の場合、赤字転落してからリストラに踏み切ります。

ですが、赤字になってからでは遅すぎます。赤字から経営を立て直すにはものすごい時間がかかる。黒字決算のときに、思い切ったことをできるかどうかが大事です。もう少し頑張ろう、もう少しだけと先延ばしをしていけば会社全体がおかしなことになります。企業は競争力がなければ存続できず、雇用も維持できません。つらいがしかし組織に最善の決断をするのが経営者の役目です。

私がトップにいたときは決してキリンがいい状態にあったとは言えません。だが、全力で走り切ったという思いがあります。すべての仕事がそうでしょうが、あれもやりたい、これもやりたい、というのでは何もできません。限られた中で最大限の努力をする。たすきをつなぐ駅伝のランナーと一緒です。私自身を振り返ればキリンのために全力を尽くし、社員もそれに応えてくれた、そんなふうに考えています。

週刊東洋経済編集部
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