業界の常識を疑ってみよ 大塚商会相談役・名誉会長・大塚実氏①

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おおつか・みのる●大塚商会相談役・名誉会長。1922年栃木県生まれ。中央大学法学部卒業。理研光学(現リコー)などを経て、61年大塚商会を設立し社長。2001年に会長になり04年から現職。

大塚商会を創業したのは1961年、38歳のときでした。いくつかの会社勤務ののち、直前に勤めていた会社で自分の意見が何回も採用されず、サラリーマン生活に見切りをつけました。わずかな手金と借金を基に、背水の陣で起業しました。

新会社で扱うのは前の会社でも売っていた複写機と感光紙です。しかし、販売先はこれまでの大企業ではなく、中小企業を狙いました。

当時、大企業では納品をしてもすぐには検収が済まず、2~3ヵ月経たないと代金を支払ってもらえなかった。それでは起業したばかりのこちらの資金繰りが続きません。それに大企業では買うと決まるまでに時間がかかるうえ、買いたたかれて利幅が薄かった。ところが中小企業では社長にすぐ会えて、商談をすれば即断即決です。値引きもそれほど強引でもない。そういうわけで、自分で商売するなら、相手は中小企業と決めていました。

「足し算の経営」

60年代、複写機はまだまだ高価で大企業にしか売れない、と考えられていました。でも私は早晩、必需品になるとにらんでいました。不動産屋、会計事務所、設計事務所など、先生と呼ばれる業種の人たちを中心に、売り込みを図りました。実際、営業活動をしてみると、確実な手応えがあった。複写機業界の人々は中小企業にはニーズがないと思い込んでいましたが、実はそうではなかったのです。

もう一つ心掛けたのは「面で攻める」という発想です。後に「新聞作戦」と呼ぶようになったもので、狭い範囲でも密度を濃くして営業をすれば、十分に採算が合うという考え方です。感光紙が束になった1冊が560円でちょうど新聞購読料と同じ時代でした。それを一つずつ配達していたら採算は取れない、というのが感光紙業界の常識でした。でも私は新聞と同じように狭いエリアで、次から次に配達すれば効率的だと考えたのです。

複写機は単価は高いが、一度売ればその後の何年かは売れない。ところが感光紙は消耗品だから継続的に需要がある。今で言うところのサプライ製品です。私は「足し算の経営」と呼んでいますが、小さなサプライや修理・メンテナンスなども積み重なれば大きなビジネスになる。これを徹底させました。

扱う商品は時代とともに変わってきましたが、商売の仕方そのものはそれほど変わっていません。今までの業界常識を疑ってみる。そこに大きな商売のタネがあるのです。

週刊東洋経済編集部
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