自分で言うのも何ですが、サラリーマン時代に私は優秀な営業マンでした。しかし上司に正当に評価されなかった経験があります。そんなこともあって、私は経営者として、部下を印象で評価をすることはせず、数字を見て評価するよう徹してきました。
数字を上げたのに評価されない。これほど悔しいことはありません。人事は頑張った者が報われることが大事です。だが大塚商会では年功序列的な浪花節的なところも少し残しています。その交ぜ具合はバランスです。重要なのは評価された人が、納得してくれるかどうか。突き詰めると「人事は納得」だと思います。
サラリーマン時代から人を使うときに心掛けてきたのは、部下の長所を生かすことです。短所を直させるより、長所を生かすことのほうが易しく、そのほうがよい結果が出る。人は褒められると頑張ります。小言を言っても本人が納得しなければ不満を抱きます。だからよほどのことがなければ、あまり叱らないことです。
理屈の正否ではなく実利を得る
叱るときは逃げ道をつくってからしか叱りません。完全にやっつけるのは、言った側は気分がいいかもしれませんが、何も得るものはないんです。
では、もし部下が結果を出せなかったらどうするか。次のポジションを与えてみることです。意外に別の分野で頑張る人が出てきます。また部下が結果を出せないのは、使う側にも責任があります。向き不向き、長所と短所をうまく見極めて、どうやったらよい結果を出せるかを考えるのが経営者です。
しかしながら部下の掌握では失敗したことがあります。昭和51(1976)年、創業15年目の8月の業績があまりにも悪く、支店長を集めてかなりきつく叱責しました。営業目標の大幅未達成者には減給すると言い渡しました。これに対して幹部社員を中心に猛反発が起きたのです。結局、私が折れて事態を収拾したのですが、一時は社長を辞めようかと真剣に考えたほどです。
私としては普段社内コミュニケーションは十分取れていたつもりでしたが、そうではなかった。これを機に一層の対話を心掛けることにしました。
今振り返ってもあのとき給料カットを言い出したことが間違っていたとは思いません。しかし、経営者は裁判官ではなく、よい結果を出すのが仕事です。理屈の正否ではなく実利を得る、それが経営者の役割であると考えています。
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