佐藤琢磨「自ら挑戦しないと運はつかめない」 日本人で初めてインディを制した男の真実

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日本人で初めて「インディ500」を制し、凱旋帰国後、東京都内で記者会見した佐藤琢磨選手(写真:西村尚己/アフロスポーツ)
今年5月、F1のモナコグランプリ、ル・マン24時間耐久レースと並び、自動車の世界3大レースの1つといわれる「インディ500」で、佐藤琢磨選手が快挙を果たしたのは記憶に新しい。今年で101回目を迎えるレースで、日本人初の優勝を果たした。
佐藤琢磨選手といえば、元F1ドライバーとしても有名だ。そんな佐藤琢磨選手という人物はいかにレーサーとなり、そしてインディへ挑戦することになったか。海外に移住し、もしくは海外をベースに仕事をしている20人の方々に、その意思決定の背景や思い、海外生活のポイントを現地取材し、そのリアルな体験談をまとめた『日本を飛び出して世界で見つけた僕らが本当にやりたかったこと』から著者の森美知典さんと佐藤琢磨選手の対談を抜粋してお届けする。

レーシングドライバーになるきっかけ

森 美知典(以下、森):僕はF1世代で琢磨さんのレースも観ていましたので、そのお話も聞きたいのですが、今回はどちらかというと“人間”は何を考えて、どういうことに影響を受け、苦難をどう乗り越えて世界という選択肢を持つに至ったのか、というところを中心にお聞きできればと思います。レースの世界に触れたのは、いつ頃だったんですか?

佐藤 琢磨(以下、佐藤):1987年に鈴鹿で開催された日本グランプリですね。僕がクルマ好きだったこともあって、父の知人がチケットを譲ってくださいました。

:そのときに初めて、F1を生で観ることになったわけですか? 相当な衝撃だったのでは。

佐藤:はい、それはもう。あのマシン、音、加速感、空気を切り裂くようなスピード、サーキット全体の張り詰めたような緊張感、すべてに圧倒されて。あの日を境に、本当に頭のてっぺんからつま先まで、F1がすべてになってしまったんです。そのときの原体験が、レーシングドライバーになるきっかけですね。

:すごいですね。10歳で進むべき道が見えてしまった、と。ただ、レースの世界って、どうやって入っていくのか想像できないですし、日常とはかなりかけ離れた印象があります。

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