モーレツ社員だった20代
岩瀬さんは、子どもができるまで、今どき珍しい「モーレツ社員」だった。
学生時代から「イベント企画の仕事がやりたい」と夢を抱き、「それならここ」と大学のゼミの先生に薦められて、東京ドームに入社。1998年に入社したときは、ちょうど遊園地の再開発の話が社内で出始めた時期で、やりたい仕事は山とあった。岩瀬さんはメンバーに選ばれると、それこそ昼も夜もなく働いた。
「同期10人が男性ばかりだったということもあって、男性が1働くなら、私は1.5は働かなければ評価されないと思って頑張ってきました」
そんな岩瀬さんを含むプロジェクトチームの努力の結晶が、温泉やアトラクションなどの融合商業施設「ラクーア」だ。2003年、同施設は爆発的にヒットし、企画当初から開発に携わっていた岩瀬さんは雑誌『日経ウーマン』の名物企画「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」のひとりに選出された。
社内の論文コンテストで「東京ドームのブランディング」について書き、最優秀賞を獲得。その功績を称えられ、海外研修をさせてもらったこともある。つねに第一線をひた走ってきた。
「仕事優先」のワーカホリックだったから、24歳のときに知り合った5歳年上のご主人との結婚は、ラクーアのオープンまで見送ったほどだ。
「私にとって、『結婚する』こととは子どもができる準備ができているということ。ですから、一段落つくまでは、結婚できませんでした」
2005年、29歳のときに結婚。いわゆる「ベビ待ち」の態勢に入った。ところが、岩瀬さんは、ここで、人生で初めての挫折を味わうことになる。
思い通りに行かなかった、「ベビ待ち」
何事にも積極的な岩瀬さんは、結婚当時、仕事の後、グロービスマネジメントスクールに通い、マーケティングや経営を学んでいた。
「施設の開発をするうえで、自分に足りないのは経営の基礎知識だと、たびたび気づかされました。そこで、会社に申請して学費を出してもらい、勉強を始めたのです」
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