そう、日本の伝統精神ね、この日本には伝統の精神ともいうべきものが、脈々と流れておる。わしの考えやけどね。その精神の中核は3つやと思う。1つはなにかというと、「衆知を集める」ということやな。これが第一の、わが国の伝統精神ともいうべきもんやと思うね。
ある人から聞いたんやけどな。神話の話ということになるんやけど、伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)の神様が、どうしても子どもがうまく出来ん。で、どうするかというと、その神様が2人して、天上の天つ神々のところへ行く。相談にいくんやな。どうしたらいいかと。
日本の神様には究極の神が存在しない
そうすると、面白いことに、天つ神々が占いをするんや。占いをするということは、神様たちが、また、上の誰かに相談しておるということやわな。まあ、相談して相談して、いろいろな意見を聞いている。そうして、こうしたらええと、伊邪那岐、伊邪那美に答えている。結局、日本の神様には究極の神が存在しないということをあらわしておるということや。このことはまた日本では多くの人たちの知恵を集めて、事を決めていくということを言うておるということにもなるわな。
また、八百万(やおよろず)の神々の共同生活の様子が、「古事記」や「日本書紀」に書かれておるようやけどな、まあ、神話とはいうものの、神様たちがつねに衆議によってというか、神様たちの知恵を集め相談しつつ物事を決め、とりおこなっている。天照大神は最高位の神ではあるけれども、専断、専行してはおらんということになるね。
現に、キミ、10月のことを神無月(かんなづき)といって、八百万の神様が、出雲大社に集まって協議するから、神様が出雲以外にはいなくなるということも、作り話だと思うけど、それも、衆知を集めるという伝統精神をうまく表していると思うね。こういうことは、日本人が何かを行う場合はいつも「衆知」を集めてやっていたことを示しているのではないかと思うな。
仏教を入れるときもな、これを取り入れるべきかどうかは、自分1人の独断で決めるわけにはいかんと、時の天皇さんが考えて、人びとにその是非をはかっておるわね。そしてはじめて仏教を取り入れておる。聖徳太子さんが十七条の憲法を定めておられるけど、あのなかにも、独断で物事を決めたらいかん。必ず多くの人と論議しなさい。多くの人と論議を尽くせば、物事の真理も明確になるというようなところがあったな。これも衆知を集めるという、わが国の伝統精神の表れやな。
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