日本の伝統精神は独断専行を認めていない 松下幸之助が語った日本人の本質

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戦国時代と言うと、大将が独断でやっておったように思うけど、名君良将といわれた人は、大抵が衆知を集め、家臣の声、世間の声を聞き相談して事を決しておるわけや。あの信長でさえ、桶狭間の合戦のようなときでも、結果としては、ただひとり真っ先に城をうって出るということをしておるけど、それでも、その直前まで重臣たちの意見を聞いとるわけや。

そのうえでその衆議を上回る知恵をみずから生み出して、城を飛び出していく。徳川幕府においても、将軍を補佐する複数の老中をおいて、そこで衆知を集めて政治をおこなっていたと言われておるわね。例外もあるけどね。

武士の時代、封建時代にあっても、やはり、その時その時、その場その場に応じて、出来るかぎり衆知を集めながら、最善の道を求めて共同生活の運営をしていくということがおこなわれていたわけや。

衆知によって事をなすという日本の伝統精神

明治維新になったときも、『五箇条の御誓文』が発表されて、それからの日本の国家経営、国民活動の根本指針とされてきたけど、その第一条にも「広く会議を興し、万機公論に決すべし」とあったわな。これも当時の先進国の議会制度に学ぶというところがあったんやろうけど、ただそれだけではない。やはり、長年にわたって培われてきた、衆知によって事をなすという日本の伝統精神が現れたものだと考えられるわね。

こういう日本の伝統精神は、国内でだけ表れておるというものではない。外国に対しても言えるわけや。つまり、海外からも日本人は衆知を集めて、この日本の国を発展させてきた。言い替えれば、海外のよいもの、すぐれたものを受け入れ、それを生かしながら、自分を高めてきたと言えるわね。たとえば宗教や。宗教は仏教というものを千数百年前から、中国や朝鮮から取り入れ、また明治以降はキリスト教もうけいれてきた。さらに道徳も古くから中国の儒教を取り入れ、これを政治の上、あるいは個々人の生活の上に生かしてきとるわね。

そのほかにも、たとえば漢字、暦、美術や工芸などの手法、政治や社会の制度などといったものを、古来中国から学び、それを長い間に次第に消化吸収して日本の文化を作り上げたんや。そのようにして昔の日本人は隣国であり、また当時先進国であった中国を中心に、海外から多くのものを学び受け入れてきた。さらに近代に入ってからは、欧米先進国の進んだ科学技術、あるいは産業の知識、法律などの諸制度、いろいろな思想を受け入れてきたわけや。

長い鎖国のあと、諸外国と交際してみると、それらの国々は非常に発展しとる。だから、日本としては明治維新というひとつの大きな改革を行い、新たに近代化のスタートをきったときに、そうした先進国に学ぶべきものはおおいに学びそれを生かしていくことを当時の日本人は考えたんや。そのように欧米の進んだ技術や知識を取り入れ、わが教えとして生かすことによって、日本の国、日本人の生活を非常に発展させることができたんや。

そのようにして日本人は2000年の間、国内では、いろいろな形で常に衆知を生かしつつ、また一方では広く海外の衆知を吸収し、それによって日本を今日の姿にまで発展させてきたわけやな。そこに日本のひとつの大きな伝統精神があるのではないかと思う。

日本の伝統精神は、まず「衆知を集める」ということ。さらに、あと2つある。それは次の機会に話そう。

江口 克彦 一般財団法人東アジア情勢研究会理事長、台北駐日経済文化代表処顧問

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えぐち かつひこ / Katsuhiko Eguchi

1940年名古屋市生まれ。愛知県立瑞陵高校、慶應義塾大学法学部政治学科卒。政治学士、経済博士(中央大学)。参議院議員、PHP総合研究所社長、松下電器産業株式会社理事、内閣官房道州制ビジョン懇談会座長など歴任。著書多数。故・松下幸之助氏の直弟子とも側近とも言われている。23年間、ほとんど毎日、毎晩、松下氏と語り合い、直接、指導を受けた松下幸之助思想の伝承者であり、継承者。松下氏の言葉を伝えるだけでなく、その心を伝える講演、著作は定評がある。現在も講演に執筆に精力的に活動。

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