高度成長期の幻を売る「謎の屋台女子」の正体 リーマン直後に就職し、「純喫茶」に救われた

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そんな毎日の中、『昭和喫茶にて。』というCDに出合った。物悲しいアンティークアコーディオンの音色が疲弊した心にしみた。仕事の合間に古い喫茶店に行くようになった。癒やされた。名古屋は言わずと知れた喫茶店の街。300円台でボリュームたっぷりのモーニングセットが食べられる。古い喫茶店を見つけたら時間の許すかぎり入店するようになった。時が止まったかのようにゆったりと時間が流れる空間、老若男女のとりとめのない世間話、効率化とは程遠い経営システム……。

「昔からある喫茶店に入って、高度経済成長期の文化に目覚めたんです。店内にあるアールデコ調の棚やカウンター、ベルベットのソファー、カラフルでポップなデザインの照明やゴージャスなシャンデリアなど、これまた効率化とは程遠い豊かな意匠に胸がときめいた」

以来、取りつかれたかのように街の中に埋もれてしまっている昭和らしさを探すようになった。すると、そこで出会う昭和らしいコミュニケーションによって、精神状態は急速に回復していった。

「私はうつ病ではなく、昭和欠乏症だったんです」

興味を持ったのは喫茶店だけではなかった。「働き出したら、仕事の後のお酒がおいしくなった。老若男女が一緒になって語っている居酒屋に癒やされました」。

この辺は本連載でも取り上げた「暗黒女子」(「週7日飲酒?赤提灯に集う『暗黒女子』の正体」)と同じだ。こうして菅沼さんは名古屋中の喫茶店や赤ちょうちんに行きまくった。

さらに、「高度成長という時代に関心があるのは、今日よりも明日がよくなると信じられた時代だから」。「高度成長期の生活に関心を持ちはじめると、自分の実家にもそういう物があることに気づきました。家具とか、カラフルなカーテンとか、自分が赤ちゃんのときのおもちゃとか。だから一種の懐かしさがあったかもしれません」。

豊田市のニュータウンに生まれ、ずっと違和感

ただ、菅沼さんが育った街には、ずっと違和感を持っていたという。菅沼さんは、愛知県豊田市のニュータウンの出身だ。サラリーマンの父親と、専業主婦の母親という家族のもとで育った。ニュータウンも、菅沼さんが関心を持つ高度経済成長期の産物だが、大企業の企業城下町であり、均質で人工的で、お店もないニュータウンにずっと違和感を持っていた。しかも、駅から家まではバスで20分かかり、大学時代は通学に2時間かかった。帰りが遅くなるとつらい。

豊田市のニュータウンに生まれた菅沼さんは、人工的な街にずっと違和感を抱いていた。

「だからニュータウンは出たかった」

就職して初めての1人暮らしで住んだのは、設備のよい新築マンションだった。だが、高度成長期の文化に目覚めてからは、円頓寺という名古屋駅から程近い、古い商店街にある喫茶店の2階に引っ越した。商店街にあるお店の看板の文字がかわいかった。何十年も置きっぱなしでほこりをかぶった商品も味があった。おばあちゃんがやっている古い洋品店のデッドストックを引っ張り出してもらって洋服を買った。

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