北朝鮮、路上生活の子を減らした金正恩の力 父のやり方を変え、農業改革で食糧事情改善
北朝鮮では、両親がおらず路上で生活する10代前後の子どもたちを、「コッチェビ」と呼ぶ。コッチェビという言葉が出始めたのは、1980年代だと思われる。同国ではかなり前から路上生活をする子どもたちが存在していた。コッチェビの子どもたちは、ほぼ1人で生活することが多かったが、1980年代半ばから食糧難が広がるにつれてコッチェビが続出。群れをなして街を徘徊するようになった。彼らの生活の場は主に「チャンマダン」と呼ばれるヤミ市だった。
チャンマダンは常に存在しており、チャンマダンがあれば、そこにはコッチェビも必ずいる。経済難が進むにつれて、チャンマダンも北朝鮮全域に広がり、今では北朝鮮の流通の中心地となった。北朝鮮国内では約400カ所の大規模なチャンマダンが運営されている。1990年代に集中して発生したコッチェビは今では30~40代の大人となった。チャンマダンで彼らはさまざまな仕事をしている。
確実に減っていったコッチェビの数
一方で、チャンマダンの広がりとは反比例するかのように、コッチェビの人数は顕著に減少してきた。現在ではチャンマダンでコッチェビの姿を見るのは難しい。北朝鮮当局が強制的に確保し、収容所に送ったとも考えられる。とはいえ、彼らは一度も組織というもので生活をしたことがなく、自由な生活を謳歌してきた。そのため、収容所での組織生活に耐えられず、大部分が脱出して再びコッチェビ生活を送ったという。コッチェビの数がはっきりと減った理由は、かつてのようなコッチェビが新たに出てきていないことを意味しており、これは北朝鮮の食糧事情と深い関係があると思われる。
配給制に依存していた北朝鮮は、1990年代を前後して配給がほぼ途切れ、国民らの食糧調達が難しくなった。食糧を求めるために一家離散となるなど家庭が崩壊し、それゆえコッチェビが急激に増加した。このような観点から、北朝鮮の食糧需給状況に何が起きているのかを見てみたい。特に金正恩政権になって5年間、北朝鮮で何が生じたのかに注目すべきだ。
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