北朝鮮、路上生活の子を減らした金正恩の力

父のやり方を変え、農業改革で食糧事情改善

しかし、危機に直面した金正日政権に、救世主が現れた。1998年に大統領に就任した韓国の金大中政権が、太陽政策(Sunshine Policy)を打ち出したためだ。金大中が北朝鮮向けの肥料や食糧支援を始めると、米国と日本もまた、北朝鮮への支援を増やし始めた。一時、米国と日本、韓国による対北食糧支援の規模は、年間200万トンに達したときもあった。このような支援が少なくとも2007年までは継続した。

当時、人口2400万人の北朝鮮住民は1人当たり1日500グラムの穀物をとっており、1日1万トン、年間360万トンあれば、最低水準を維持できたとされる。自主生産が200万トン、外部から供給された分が200万トンと、計400万トンあるので、最低水準は維持できたことになる。

この期間中、金正日政権は、傍観していただけではない。食糧生産については、3つの作業を行った。

1つ目は農地整備である。金正日が死亡する直前までには、約120万ヘクタールの農地を確保したという。2つ目は水路・道路整備だった。農地に水を供給するための水路を整備し、各地域を連結する道路網を拡充する事業だった。特に西側の耕作地帯と東側の山岳地帯を連結するため、平壌から元山を経て咸興までをつなぐ、高速道路を整備。3つ目は肥料生産の正常化だ。興南窒素肥料工場などの生産を正常化させようとしたが、金正日が死亡するまでに成果を出すことはできなかった。

ヤミ市が全国に広がり、配給制を代替

平壌市近郊の野菜農場。一人一人の生産性で収入が変わる

一方、この期間中に、北朝鮮ではチャンマダン(ヤミ市)が広がり、食糧需給の流通網が配給制から市場取引へと、完全に転換した。2000年代は市場における食糧価格の変動幅がとても大きかった。これは、市場レートの変動幅が大きかったことが1つの要因だが、何よりも市場に食糧供給が安定的に行われていなかったためだ。

こうして10年という時間が流れるうち、市場の食糧需給網は安定化し、2010年以降はチャンマダンにおける食糧価格が安定。全国的に価格変動幅の縮小する現象が見られるようになった。これには食糧卸の役割がとても重要だった。彼らは北朝鮮全域のチャンマダンに食糧を供給する大元へと成長していった。

北朝鮮当局は2006年ごろ、コメ卸商に対し大々的な取り締まりを行ったが、当時摘発された卸業者の倉庫には、すき間がないほどぎっしりとコメ袋が積み上がっていたという。しかし、彼らを取り締まれば足元の食糧供給に問題が生じるため、当局は傍観するほかなかった。卸商は協同農場と先物取引を行う方式で食糧を確保する一方、不足分を中国などから取り寄せるルートを確保していた。ただ、元々、内部の食糧生産性が低い状態だったため、外部に依存する割合が高くならざるをえなかった。

ところが、金正恩政権が始まった2012年から、市場が変わり始めた。金正恩が北朝鮮の一般住民に向け初めて公の場で演説した際、「二度と住民がベルトを締め上げることがないように(やせ細らないように)する」と発言。そして、前の金正日政権の十数年間の蓄積を土台に、食糧需給と関連した主な政策をいくつか推進したのである。

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