北朝鮮、路上生活の子を減らした金正恩の力

父のやり方を変え、農業改革で食糧事情改善

北朝鮮は1970年代までは、食糧は自給自足だった。1ヘクタール当たりの農地に、1トンの肥料を投入すれば、10トンの穀物が生産される。これが北朝鮮式食糧生産の公式だった。1970年代当時、肥料生産が円滑だっただけでなく、北朝鮮には100万ヘクタール以上の農地があった。凶作の年になっても、年間約600万~700万トンの穀物を生産できた。

が、北朝鮮の食糧問題は、生産部門から始まった。1970年代に後継者として浮上してきた故・金正日総書記が、継母である金聖愛(キム・ソンエ)と激しく繰り広げた権力闘争を終え、1980年に第6回党大会で後継者として公式にデビューする直前に無理な政策を断行。1979年、金正日は「社会主義は完成段階に入った」と主張し、協同農場の国営農場化を推進したのであった。

それまでの北朝鮮の農民は、協同農場において協同的所有を維持してきた。協同的所有だからこそ、生産された分から分配を受け、ひと月ごとに受け取る「生活費」というものは存在しなかった。ところが金正日は、協同農場員にも安定的な生活費を支給する代わり、すべての生産物は国家から受け取る方式を取り始めた。協同農場員は工業従事者のように生活費を毎月受け取る農業勤労者となった。

飢餓を解決できず、党書記は公開処刑

北朝鮮で農業の生産性は確実に回復している

こうなると、最初のほうは生活費を受け取るのでいいが、仕事をしなくても月給を受け取ることが出きることが徐々にわかり、となると、農場には出ず住居近くの畑ばかりを耕すようになった。こうして協同農場の生産性が明らかに落ち始めた。生産性が落ち、北朝鮮当局はインセンティブの提供など多様な方法を動員したものの、協同農場の生産性は日に日に下落していった。

この十数年間、北朝鮮の食糧難は、飢餓レベルと言われてきた。飢餓が発生する原因はさまざまだが、大部分は相次ぐ自然災害や政治権力の無能あるいは無関心などで、食糧需給がバランスを崩した時に発生する。1990年代半ばごろから、北朝鮮の主な基幹道路網が流失してしまう大規模な自然災害が発生。相対的に農地が不足していた咸鏡道や江原道の地域への食糧供給が長期間中断される事態が起きてしまった。

1994年に金日成主席が死亡するなど、当時、北朝鮮と金正日は政治的な危機状況に直面しており、さらに社会主義圏の崩壊も重なり、北朝鮮経済は極度の孤立状態に陥らざるをえなかった。当局からは、食糧のある地域から不足している地域へと、優先的に供給しようとした。が、不足の長期化を憂慮した地域では、利己的な考えが広がって供給がうまく行かず、不足した地域では飢餓状態に陥った。自然災害によって経済的飢餓状態が一時的に生じると、この問題を解決できないことに責任を取り、徐寛熙(ソ・グアンヒ)農業担当党書記が”公開処刑”されたことを見ても、当時の状況がどれほど深刻なものだったかがわかる。

このような自然災害が3年連続で続き、北朝鮮の食糧難は全国に広がった。さらには、家族崩壊も見られるほど、食糧を求めて全国各地を移動する者が増え始めた。1990年代末の北朝鮮内の穀物生産量は、200万トンにも満たなかった。手が付けられないほどの荒廃が続き、構造的な飢餓状態に陥った。

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