「まずは君が落ち着け」世界は逆回転を始めた 不動産王の「壁作り」はなぜ支持されたのか
グローバル経済は金融中心です。カネで株を買い、債権を買い、石油を買い、ウランを買う。それらは貨幣の代替品ですから、貨幣で貨幣を買っているに等しい。そうでもしないともう売り買いするものがないのです。経済活動が人間たちの日々の衣食住の欲求を満たすことに限定されれば、どこかで「もう要らない」という飽和点がくる。そうすれば経済成長は止まる。
それでは困る。だから人間の生理的欲求と無関係なレベルに経済活動の中心を移したのです。それが金融経済です。そこではもう人間的時間が流れない。腹が減ればへたり、寒ければ震え、疲れたら眠り込むという生身の身体の弱さや壊れやすさはもう経済活動のリミッターとしては機能しない。
経済活動が人間の日々の生活とここまで無縁になったことは歴史上ありません。だから、巨大なスケールの経済活動が行われているのだけれど、そこにどういう法則性があり、その成否が人間たちの生活に何をもたらすことになるのか、誰にもわからない。その「意味不明のシステム」が世界の基幹構造になっている。
人間たちはそのシステムに最適化することを求められている。自分たちのライフスタイルも、職業選択も、身につけるスキルや知識も、すべてが金融経済ベースで決定される。だから、長期にわたって集中的に努力して身につけた技術が、業態の変化や技術的イノベーションのせいで一夜にして無価値になるというようなことが現に頻発します。これは人間を虚無的にします。
アメリカの「ラスト・ベルト」の労働者たちが経験したのは、まさにその虚無感だと思います。それが「グローバル疲れ」、変化に対する疲労感として噴出した。社会の変化に対して、「もうついていけない。スローダウンしてくれ」というのはアメリカ市民にとって切実な実感だった。
オバマの最初の選挙のときのスローガンは「チェンジ」でした。それが8年かけて深い徒労感だけをアメリカ市民に残した。だから、トランプは「元に戻せ」と呼号して熱烈な支持を獲得したのだと思います。
ちょっと立ち止まって考えてみよう
グローバル化に対して「スピードダウンしてくれ」というのは、日本における2015年の安保法制反対の運動にも伏流していたと思います。SEALDsが多くの支持者を得たのは、彼らが掲げた政策の綱領的正しさゆえではなくて、その「穏やかな言葉づかい」や「立場の違う人たちの意見にも黙って耳を傾ける」マナーでした。
同じように、15年は世界各地で「リベラルのバックラッシュ」が見られました。イギリス労働党の党首にジェレミー・コービンが選ばれ、スペインでは急進左派ポデモスが躍進し、米大統領選では社会民主主義者バーニー・サンダースが存在感を示し、カナダでは若いジャスティン・トルドー首相が登場した。
そうやって見るとリベラル=左派的な流れが際立ったわけですけど、彼らの主張も共通するのは「スローダウン」でした。狂躁的なグローバル化の流れを一回止めて、いったいわれわれはどんなゲームをしているのか、なんのために「こんなこと」をしているのかを、ちょっと立ち止まって考えてみようと提案をした。それは政治思想というよりも「ビヘイビア」についての提案だったように思います。