自然の理法に従えば、と言うたけどな、それは自然の理法に従うということは、大変な努力が要る。それは、きみ、わかるやろ。
自然の理法はやるべきこと、なすべきことはやっておるわね。早い話が、お日さんはきちっと東から出る。そして西に沈む。春が来て、夏が来て、秋が来て、そして冬が来る。人間のやるべきこと、なすべきことをしっかりとやれるかどうか。逆になすべからざることは絶対にやらんと。そういうことが出来るかどうかということになってくると、自然の理法に従うというのは、そう易しいことではないわな。そやろ。きみも、なかなか難しいと思うやろ。
まあ、わしはそういうようなことを、自ら考えながら今日まで、不完全ではあるけれど、やってきた、心がけてきた。まあ、宇宙万物自然というものが、わしの先生でもあったわけやな。
経営の枠のなかだけで考えたのではない
わしの経営についての考え方は、経営というひとつの枠のなかだけで考えたのではない。わしはいつもその枠を越えて、宇宙とか自然とか、そういうものに考えを及ぼし、そこで得られたわしなりの結論を経営に応用したんや。
だから、経営についての考えは、わしの全体の考えの一部であって、全体ではない。みんな、わしのことを経営の神様と言うけど、わしが今日まで考え続けてきたのは、宇宙のことであり、万物のことであり、自然のことであり、人間のことであるんや、ほんとうはな。
そういう考えが十分に世間で通用するかということは、これは別や。しかし、少なくとも、わしは自分なりに考えて正しいやろうなと思っておるけど、ともかく、わしは経営をやりながら、つねに人間の本質はどういうものか。人間の幸せとはなにか。宇宙の本質はなにか。自然の理法とはなにか、ということを考えてきた。天地自然のなかに繁栄の原理を探してきた。これがわしのやり方やった。それで、それなりに成功したわけやな。けど、こんなことは、きみ、誰にも言わんでええで。
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